雑記: 16 (私とPOTSHOT) | Bubble and Squeak Records~134の雑食音源レビュー~

雑記: 16 (私とPOTSHOT)



仕事が暇なのでちょいとした雑記を書いてます。



突然ではあるが私はPOTSHOTが好きです。

「数曲は知ってるよ」

「昔聴いてた。初期の頃の曲しか知らないけど」

とかでは無く、出会って20年くらい経つだろうか。音源もCDシングル、7‘、アルバムもジャケや収録の曲順が違うからと国内盤・海外盤、レコードなど無駄に買い集めてしまう程、ある意味収集癖を拗らせ、詰め合わせたようなファンである。

出会いのきっかけは断片的ではあるが意外と覚えている。

当時、中学生だったかな?色々と端折(はしょ)るが洋楽パンクにハマり出した頃だった。それを知った同じ塾に通っていた友達のホッシーがオススメしてくれたのがPOTSHOTだった。(パンク繋がりだろう)

今考えるとホッシーはだいぶ早耳だったんだと思う。中学生なんて普通はJ-POP。テレビで見聞きする音楽が全てと言っても良いくらいのはずだ。そこから背伸びをした人達が洋楽に手を出すのが当時を振り返る個人的なイメージだろうか。(私の洋楽への道の理由はちょいと違ったが)

今みたいにYouTubeなども無い時代。そのため自分の知ってる世界が狭いとも思わず、それが全てと思ってたあの時代にインディーズを彼は聴いていたわけだ。もちろん当時の自分にはインディーズなんて概念は無い。PUNKは知っていてもSKA PUNKと言う細分化されたジャンルすらない知らない頃だった。

オススメしてもらったバンドが幾つかあったと思う。そして、その時たぶん曲は聴いて無かったと思う。後日、私は唯一名前を覚えていたPOTSHOTの音源をTSUTAYAにレンタルしに行き、そこで手にしたのが2nd Album”Rock’n Roll”だった。(なぜそれを手にしたかは覚えていない)




【My first POTSHOT】


家に帰ってMDに録音しながらアルバムを聴いた。
アルバムが終わり、当時の私は愕然とした。

「み……短すぎねぇか…!?」

当時聴いてた洋楽メロコアのアルバムでも14曲入って40分はあったはず。しかし14曲収録で約24分。当時の私はMD1枚に対してアルバム1枚を録音。詰め込まない几帳面なダビングをしていた。(MIXテープやベスト盤作成は別) 60分テープでも半分で終わる。3倍録音なら180分は落とせるものに24分と言う内容は余りにも一瞬であった。

その時がっつりハマることは無かったが、せっかく小遣いはたいて借りたCDなのでこのアルバムを当時何度も何度も聴いた。


時は経ち、高校生時代。当時の私はとりあえずメロコアを中心に色々と手を出しまくってた。その中でPOP PUNKにも出会い、そしてSKA PUNKにも興味を持ち始め、もっと深掘りしたいとこちらの方にも手を出し始めた。


この当時もまだまだネットと言うのは主流では無かった。もちろんパソコンを持ってる家庭はあったと思うが、ネット社会という訳でも無く、持ってる携帯電話はVodafone(ボーダフォン)。

「携帯にカメラが付いて写真が撮れるぞ!」

と驚いたもんだ。携帯に入っていたテトリスがやれるだけで嬉しかった。そんな時代。



”千里の道もコンピから“
と言うわけで、一気に色々と知るにはコンピレーションアルバムが手っ取り早い時代。私はブックオフのコンピコーナーで気になるCDを見つけて手に取った。それが【Asian Man Records】からリリースされている”Mail Order Is Still Fun vol.2”だった。



【この出会いが私に火をつけた】


裏面の収録バンドを見ると、知らないバンドがたくさん。そんな中にPOTSHOTが収録されており、しかも曲は“Freedom”。奇しくも私がTSUTAYAで借りたアルバムに収録されてた曲であり、これを見た時は「おぉ、懐かしいな〜」なんて思ったくらいだった。

このコンピを購入して、家で一通り聴き終わった時に私は衝撃を受けた。

「………POTSHOTが一番良かった…………感泣」

懐かしいだけじゃない。私の中に曲が染み付いてた。イントロが流れてきた瞬間からのAメロの歌い出し、サビ、ウォーウォーコーラス、もう何年も聴いてないのに一曲丸々口ずさめる自分がいた。

若さ故か、三つ子の魂百までと言うことか、あの当時、聴いてきている曲の数が明らかに少ないためか。兎に角、MDに入れてなんか悔しくてたくさん聴いてたあの時の瞬間がこの日に繋がった。何よりボーカルのRyojiさんの歌声とメロディーがスッと身体に入り、”自分はこれが好き“と言う明確な感情が芽生えたのだった。親鳥を見る小鳥の心境のように…。

そこから私はPOTSHOTを買い漁る旅に出た。


2005年、POTSHOTは解散した。当時の記憶は曖昧なのだが、この1回目の解散ライブの情報は知っていたのか?知らなかったのか?記憶がごっちゃになり、2007年の2回目の解散(KEMURI解散に伴いスペシャルライブ)だったのか、兎に角、私の熱とは入れ違いで解散してしまった。

しかし、当時の自分には“ライブに行く”と言う考えが全く無かった。

例えば、音楽の入り口として“上の兄姉が聴いていて影響を受けた”とか、“友達に詳しいやつがいた”とかがあると思う。しかし、当時の私にはそう言う存在は友人で2人いたかどうか。基本1人で掘り下げる作業をしていたし、PUNKが好きと言う友達は正直0に近いものだった。ハイスタやHawaiian6が好きな友達もいたし、レッチリなどの洋楽好きな友達もいた。だが、音楽の話しはすれど、“ライブに行ってきた”的な話しは皆無だった。

音楽を聴いて満足していた当時の自分にはそれが全てであり、“ライブに行こう。行きた!”なんて考えは不思議と出なかった。


余談ではあるが、そんな私もライブに初めて行ったのが2004年頃。友達が観たいバンドがあると言うことで、ちょうど私もblink-182のライブがあると言うのを知ってお互いそれぞれ一緒に行こうと言う交換条件で行ったのが最初。矛盾してるがライブに初めて行った翌年にPOTSHOTが解散してるのを考えると、情報収集不足であり、まだライブに対してハードルが高かったのかもしれない。


時は経ち、2013年にPOTSHOTは活動を再開した。と言っても復活と休止を繰り返す大仁田厚のような状況が現在に至るまでなっているのだが、その当時POTSHOT復活の事を知った自分はとても悩んだ。

その頃の私はPOP PUNK一直線。何なら良くわからない母国語ものまで手を出して拗らせまくっている現在と何ら変わらない自分がいた。

ライブも足繁く通っていたので、POTSHOTのライブに1人で行くと言うのは何ら抵抗が無かったわけだが、気持ちのモチベーションや、若い世代の人達のモッシュ&ダイブのノリ、全然分からん対バン、何より自分の中でのPOTSHOTが壊れてしまわないか?など、自分に良いように言い聞かせてライブに行く事は無かった。







時は経ち、昨年となる2024年某日。翌年となる2025年にPOTSHOTが30周年を迎えるツアーライブをやると言う告知を目にした。

これは言葉では表せない感情であり、私の性格的な物もあっただろう。この告知を見た時に何の邪念も無く

「あ……行こう……」

そう思った。


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何も痕跡も残さず

明日への意思もない

ビールとギターノイズだけが

オレを駆り立てる

それだけでいい

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POTSHOTの代表曲の一つである“CLEAR”の歌詞の一節。まさにその通りじゃないかと思った。

私はPOTSHOTに対するライブの想い出はもちろん、理想も幻想も何も持っていないのと同じ。

明日への希望なんて無いような自堕落で朽ちた生活。ただ、ライブに行って酒を煽り、全身で浴びるライブサウンドだけが今の自分を辛うじて生かしてくれてると言う現実が歌詞にリンクしていた。(残念ながら望んでこんな生活になってしまったわけでないのに)






去年の総括ブログにも書いたが、なんやかんやでライブ生活20年越え。周りなんて関係ないし、誰も興味がないのは知っている。自分が楽しいかが一番重要であることなんて分かりきっていたことなのだ。


なんの意思や意気込み、青春フラッシュバックなども無く、ただただ“行くか”と思ってからチケット購入するまでに時間はかからなかった。


と言うことで今年人生初のPOTSHOTライブに行く。
今までにRyojiさんと2回ほど話したことがあるが、毎度緊張して挙動不審になり、何も話せて無いのと同じ状態だった。それはPOTSHOTが私にとってテレビで観る芸能人と同じような存在であることと変わらないからだ。

ライブの当日も同じように緊張しているだろう。
だけど私の身体に染みついた曲の数々を聴ける。それだけで良いことを知っているし、楽しみでしかないのだよ。

POTSHOT Is My Everything 

時はきた。それだけだ。