【247】富山港線 | 酔いどれパパのブログ

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「お風呂」と「酒」と「路線バス」に関する駄文を書き連ねております。

今年17蔵目の酒蔵訪問で富山県へ。


新たな職場で迎えた9連休のお盆休み3日目に東京駅から乗り込んだ北陸新幹線「かがやき」は、2時間10分で富山に到着。

富山には何度も訪れたことがあり、「かがやき」で東京~金沢間を数回往復しているが、富山駅の北陸新幹線ホームに降り立つのは初めて。

物流倉庫のような造りの天井を見上げながら階段を降り、改札を抜けて真っ直ぐ進むと富山地方鉄道軌道線(通称・市電)の乗り場があって、4番乗り場では富山大学前行きの路面電車が停まっている。
市電は南富山駅前~富山駅の1系統、富山駅~富山大学前の2系統、市街地を反時計回りに進む3系統(循環線)のほか、元JR富山港線をLRT(次世代型路面電車システム)化した富山港線(4~6系統)が運行されている。

1~3系統(南側エリア)と富山港線(北側エリア)はかつて、JR北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)の線路によって隔てられていたが、北陸新幹線開業とともにあいの風とやま鉄道が高架化されたのを受け、2020年に南北直通運転が開始された。

今日の目的地は北側エリアにあるので、5番乗り場に立つと岩瀬浜行きが入ってくる(顔の写り込みを避けるため画像を一部修正しています。以下同じ)
南側にある1~4番線と、北側にある5~8番線の間は簡易的な踏切構造となっており、遮断機はないが歩行者用信号に加えて、サイドバーや床面のLEDが赤く光って電車の接近を伝えている。
ちなみに電車の横断がない時はこんな感じで、知らない人は線路が横切っていることにも気づかないのではないかと思うほど、「駅ナカ」の一部として溶け込んでいる。

富山駅を出た岩瀬浜行きは、JR西日本富山港線からLRTとして生まれ変わる際に敷かれた市街地の併用軌道を1キロほど進み、奥田中学校前停留所でJR時代から使われている専用軌道に入る。

富山地方鉄道富山港線は日中15分ごとに2~3両連接のLRTタイプ車両による列車が運行されており、その利便性の高さからか雨の昼下がりにもかかわらず、車内は若者グループや親子連れ、老婦人らしき2人連れなど幅広い乗客で賑わい立ち客も出ている。

最後部席に腰を下ろして流れゆく後方の風景を眺めていると、単線鉄道区間なので四角いフレームの遠方信号機の姿なども目にすることができ、乗らずじまいになってしまったJR時代の富山港線に揺られている気分を味わう。
7~8分ごとに対向列車とすれ違いながら停留所ごとに客を降ろし、終点岩瀬浜の2つ手前となる東岩瀬に着く頃には車内の客は数人になった。
東岩瀬駅は国鉄~JR時代の駅舎が残されており、紀行作家の宮脇俊三氏がデビュー作「時刻表2万キロ」の中で記した富山駅からタクシーを使って岩瀬浜に向かい富山港線で戻ろうと企てたものの東岩瀬で列車の岩瀬浜発車時刻を迎えてしまい、一駅分(当時)を残したままタクシーを降りて列車に乗り換えたというエピソードを思い出させてくれる。
富山駅を出る時に激しく降っていた雨は傘が不要なほどになっており、鳴き出した蝉の声を聞きながらお目当てのエリアに向けて歩き出した。
(つづく)