
写真のカバンは10年来の仕事の相棒。
吉田カバンの3wayビジネスバッグで、三軒茶屋にあった知人のカバン店で購入してからクールビズ期間以外(スーツ着用時)の相棒として、私の雑な使い方にも耐えてくれた。
パソコンやモバイルバッテリーを入れても1泊の出張なら衣類や資料もしっかり収納、それでいて私のオアシスである銭湯の小さなロッカーにも収まる幅や厚さで使い勝手がいい。
長いこと使っているうちに愛着が湧いてきて、傷や汚れが目立つようになっても使い続けてきた。
そんな関係が続いていた昨年末の某日、体調が思わしくないところに酒が入って足元が定まらず、生まれて初めて背面から路面に転倒した際にも、このカバンがクッションになってくれたおかげで負傷せずに済んだ。
代わりにカバンの表面には深い傷が入り、ビジネスシーンに同居させたり、ホテルのクロークに預けるのが憚られるような面相になってしまった。
その表情は、あたかも私の加齢や酒との距離感に対する警告のようで、退役を控えたカバンからの「遺言」にも感じられた。
半年ほど前には同じモデルを某駅ビル内で売られているのを目にしていたので、正月休みにでも買いに行こうと思っているうちに松が明け、2月に立ち寄った東京八重洲のポーター東京には置いておらず、店員さんに調べてもらっても、もう取り扱いはないのでは、とのこと。
ダラダラしていて買い損じるというのはよくあることで、たとえ同じモデルでなくとも、似たようなスペックのカバンならいくらでもあるだろうから、新たな戦友選びに励めばいい。
それでも、10年来の相棒を手放したくなかったのはカバンそのものへの愛着だけが理由ではなかった。
このバッグを手に入れた、今はなき三軒茶屋の大野カバン店の記憶をともに持ち歩いている感覚があった。
その店に行けば、信州でバス業務に励んでいた若かりし頃のルームメイトD君に会うことができた。
八王子という東京の田舎町出身の私からすると、三軒茶屋は多少の緊張感を抱くような都会の街だったが、ともに信州から東京に戻ったのち、時折D君に会うため三茶訪問を重ねるたびに緊張感は薄れていき、いろいろな店や路地を紹介してもらっているうちに、ほどよい下町感に心癒されるようになっていた。
しかし、10年ほど前に彼の祖父の代から続いたカバン店が閉業した後は、三茶を訪れることも少なくなった。
D君と気軽に会うことのできる場所もなくなり、いつの間にか疎遠になってしまった。
増えたカバンの傷は、彼と会わなくなってからの時間の経過を表しているように感じられ、次に会った時に「あの時のやつ、まだ使ってるよ」と伝えるまで使い続けたいと思っていた。
そんなことを考えながら過ごしていたところ、人づてにD君が三茶で店を開いたとの話を聞いた。
調べると、カバン店のあった場所とは異なるが、同じエコー仲見世商店街にその店はあった。

各地の窯元から取り寄せた器などを取り扱う「絵れ菜Tokyo」さんで、去年10月にオープンしたとのこと。
ガラス越しに店内の様子をうかがうと、D君がすぐに気付いてくれて、あの頃と変わらない笑顔をたたえながら手を振ってくれる。
お茶を淹れてくれながら「今日は何なの?」と、彼が言う。私への質問ではなく、自身に問いかけるような口ぶりなので、「?」と思っていると、「さっきOさん夫妻もきたんだよ」とのこと。
Oさんは信州でのバス業務時代にD君と私が寝泊まりしていた部屋のルームマスター。特に打ち合わせをした訳でもないのに、30年近く前に空間をともにした4人部屋メンバーのうちの3人が同じ日に三茶に揃ったのは、「絵れ菜Tokyo」のオープンとD君の人柄がそうさせてくれたのだと思う。
器のことはよく分からないけど、これからも気が向いた時に「絵れ菜Tokyo」に寄らせてもらいながら、三茶との距離を縮めていきたい。