過日、名古屋で一杯。
午後いっぱい仕事をして、その後のレセプションでコース料理をいただいた栄のホテルを午後8時過ぎに出て、地下鉄に3駅乗り千種区の今池へ。
かつては、レセプション後に相手先幹部を交えた2次会3次会が恒例だったが、コロナ禍が明けていない今、表向きそうした招集はかからず、あくまで任意の集まりとして少人数ずつタクシーに乗り三々五々ホテルを後にする光景に変わった。
1000人以上が集まり、知事も同席、乾杯の音頭は市長という華やかな着席スタイルのパーティーはコロナ禍の影響で3年ぶり。どこか懐かしい気もしたが、やはり人疲れを覚えなくもない。
そんな時には仕事を離れた後、独り一杯傾ける癒しの時間が必要だ。
そうした建前を唱えながら訪れたのは、10年ほど前に当時呑み仲間だった現・「地酒屋 ぽん」の店主(今では酒の師匠。弟子の許可はもらってませんが)に教えてもらって、いつか行きたいと思っていた「呑助飯店(のみすけはんてん)」。

名古屋は年に数回訪れるが、一杯やるのは伏見や名駅、大須あたりが多く、今池で吞んだ記憶がない。
先ほどのパーティーでは、蓬莱泉をはじめとする中部地方の日本酒6種類やワインを楽しみながらコース料理をいただいており、蟹や三河牛、フォアグラなどがまだ消化されずに体内で存在を伝えてくる。
その流れからの町中華というギャップは仕事から解放された喜びそのものだが、アラフィフの消化器系でどこまで受け止めることができるやら。
カウンター席に腰掛けて瓶ビールと名物の餃子を注文。

焼き目うるわしく小ぶりな餃子が8つ器に盛られており、手前のひとつを箸でつまんでタレにつけ、一口で頬張ると、満腹だったはずの胃が次の餃子を欲しがる。
フワフワしていながらしっとり感も絶妙な餡は、常連でも中身がわからないとされており、一見の私が当てるなど無理な話だが、そうした理屈を考える間もなく次々とビールで流すと、あっという間に餃子の器が空に。
これで火がついた訳ではないが、「本日あります」の看板が下がるチャーシューをミニで。

食感バランス良く部位選択&カットされた肉は、濃いめの味付けと食欲をそそる香ばしさをまとっており、ミニとは思えないボリューム。これまたビールによく合うが、空腹なら白メシとともにかき込みたい。
完全に体内のリミッターが外れ、続けざまにこれも呑助飯店名物「伝統の油こってり濃い口ラーメン」を油少なめで注文。

次回の通院で主治医にお小言いただきうなだれる己の姿が脳裏にチラついたが、先ほどのコース料理ではサイド的に供された名古屋メシシリーズのうち、矢場とんの味噌カツはひと切れに抑え、なだ万の天むすは皿半分、蓬莱軒のひつまぶしはコメを食わずに鰻だけ、パンにはひとつも手を出さずに耐えたのだから許してもらおう(誰に?)。
ラーメンは見た目通りの塩味はあるが、八丁味噌に似たコクや苦みもあり、これまた白メシに合いそう。
もちろんそんな余力なく、麺だけおいしくいただいて、だらしなくたるんだ腹をさすりながら残りのビールを流し込み、楊枝シーシーの正しきオヤジ町中華クロージングスタイルをキメていると、ラストオーダーの時間となりお会計。
教えてもらってから約10年を経て実現できた呑助飯店訪問に感謝しながら外に出ると、そこに名古屋の呑み仲間が現れビックリ。
多忙を極めるAさんだが、職場での仕事を早めに切り上げ、今池の自宅で続きに掛かる途中に立ち寄ってくれたとのこと。
呑助飯店はすでに灯りを落としており、餃子で乾杯は叶わないので、近くの台湾料理屋で1月以来の再会を祝す。
とは言っても私はザーサイすら食べられそうになく、ウーロンハイのオーダーミスで届いたウーロン茶を何食わぬ顔ですすり、胃腸に溜まりきった油を流す。
私の取り留めのない話に耳を傾けながら砂肝でビールをやるAさんは、会うたびご立派になっているのを感じるが、人の気持ちや痛みを真正面から受け止め、相手の心に寄り添いながらも、真っ直ぐ自分の考えを述べる強さと優しさは昔から変わっておらず、一緒に吞んでいて救われる。
一緒に吞んで見えてくるのは結局、自分の弱さ小ささふがいなさばかりだが、そんな自分でもいいじゃないか、と思わせてくれる度量と熱量をAさんから感じるから、また呑みたいと思える。
何だか、このブログまで取り留めない堂々巡りになりそうだが、考えも文章も時には迷走してもいいと思う。
地下鉄の最終が出た今池でAさんに見送られて乗り込んだタクシーの窓から空を見上げると、レセプション後に見た時より高度を増した月が名古屋の夜を柔らかく照らしていた。