小仏の関所跡から高尾駅に戻ると13時を少し過ぎており、家に帰るには早過ぎるが、これから乗るバス路線の最終便発車までは、あとわずか。
駅前にたむろするハイキング姿のシニア集団をかわしながら早足で甲州街道沿いにあるバス停へ。八王子駅北口~高尾駅北口~(大垂水峠)~相模湖駅のルートを甲州街道でひたすら辿る神奈川中央交通の「八07」系統は、平日2往復の運行。平日2往復の神奈中バスと言えば、先日乗った秦野駅~ヤビツ峠を結ぶ「秦21」と同じだが、「八07」は途中の高尾山口駅~相模湖駅間に区間便(「湖29」)が1往復入り、同区間は土日ダイヤと同じ3往復となる。
1310の定時を5分ほど過ぎると、今日の「最終バス」相模湖駅行きが入ってくる。車内には八王子あたりで買い物をしてきたと思われる客が5人ほど乗っており、少ないとは言え生活の足としての役割を帯びていることがわかる。
発車して先ほど歩いた甲州街道を進み、旧道と分かれて高尾山口駅を過ぎると、道が細くなり緩やかにカーブを描きながら登り勾配となるので、このまま山に分け入るかと思いきや圏央道高尾山インターチェンジ開業を機に整備されたバイパスに合流する交差点に突き当たる。
高尾の山中にはいかにも不似合いな高規格インフラで腹立たしくもあるが、圏央道とバイパスの開通によって高尾山口~高尾駅前をはじめとする八王子市西部の渋滞が部分的とは言え緩和されたので、受け入れざるを得ないとも思う。
バイパスから直線でつながれた元の国道20号に入ると、いよいよ大垂水峠に挑んでいく。この路線には何度か乗ったことがあるが、前回はいすゞのV8エンジン車だったので約10年ぶり。今回は新型の三菱ふそう製オートマ車だが、大垂水峠の都内側は勾配もカーブも神奈川県側に比べて緩やかなので、今のところスムーズな走り。
街道沿いにホテルや料亭の並ぶ山下、大平で客がそれぞれ2人ずつ降り、私の他には買い物袋に手を添えている初老の女性がひとりだけ。大垂水バス停を過ぎ東京と神奈川の都県境をまたぐと、急カーブが増え下りに変わった坂道の勾配もキツくなって、買い物袋に添えていた女性の手に力がこもる。
大垂水峠は、地元では「ダルミ」と呼ばれ、バイクやクルマの運転技術向上を生きがいとする方々からは、「ショーマル」こと正丸峠と並ぶアツいコースとして愛され、時には命を捧げる場として知られている。昔ほど峠に青春を散らす若者は多くないと聞くが、路面にはローリングやらドリフト対策の舗装がなされ、神奈川県警察による古めかしいタッチの啓蒙看板が行き交うクルマを睨んでいる。
そんな大垂水峠の下り勾配を2人の客を乗せた路線バスは、排気ブレーキを効かせながら降りていく。かつてのV8エンジンに比べて半分程度の排気量ながら、排気ブレーキはしっかり運動エネルギーを押しとどめており、今や標準仕様となったエアサスがドリフト対策の路面舗装の凸凹ショックを和らげている。
途中の宮ノ台でハイキング姿の4人組が乗ってきて、その次の神明台で買い物袋の女性が降りる。どちらも1日3往復の路線バスを器用に使いこなしているが、用もなくそのローカルバスに乗っている立場で人様を評価するのはやめよう。
峠の麓の千木良の集落を過ぎ、その名も「底沢」バス停を出ると登り勾配に転じる。見え隠れする中央本線の線路に気を取られていると、勾配が落ち着き「小原」バス停到着。ここは、先ほど訪れた小仏の関所に隣接する甲州街道駒木野宿の次の宿場「小原宿」の最寄りなので、下車してバスによる宿場ワープを完成させる。

街道に沿って本陣屋敷が建っており、敷地の中に入ることもできる。神奈川県内26ヶ所の東海道、甲州街道の宿場で唯一現存する本陣で、県の重要文化財にも指定されている。
本陣は大名が泊まる屋敷だから庶民には関係ないが、江戸時代の旅の先達はどんな用事で峠を越え、どんな気持ちで関所をくぐったのかに思いを致しながら10分ほど過ごし、バス停に戻る。千木良~相模湖駅間は三ヶ木からの便が加わるので本数が増える。相模湖駅までなら歩いても20分ほどだが、今日はもう10キロ以上歩いているのでバスに世話になることにした。やってきたのは、ワンステップの古参マニュアル車。相模湖駅から折り返し三ヶ木行きになるようなので、津久井湖でも見にいこうかと考えたが、それはまたの機会にすると決め、大人しく中央本線に乗り込んで帰路に就いた。