潜在能力を開花!幸せ伝導師の
ジョーこと川島啓蔵です。
以前に、「7代前のご先祖様に光を送る」という記事を書きました。。
実際にご先祖様の生きた証とか軌跡を感じてみようって事で、高知県に行ってきました。。
まだ読まれて無い方は、こちらからどうぞ
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七代前のご先祖様に光を送る!!
先ずは、早明浦ダムの近くにあるお墓参りからです。
墓所には沢山のお墓があって、確認できるだけで300年前くらいまでは年代を追えるのですが、さらに古そうなお墓もありますし、ただ石ころを置いているだけってのもありますので、よく分からないのが現状です。。
川島姓だけではなく、和田姓のお墓も多くって、鎌倉幕府の時代に北条氏と争ってこの土佐の地に追われて来た「和田義盛」の子孫がこの近くに和田城を築城しています。
長曽我部元親の四国統一の折には、活躍した武将、一族のようで、おそらくその辺りと関係が深いと思われます。
前回も書きましたが、
こんな感じのお墓も何基かあるんですよ。。
和田伴左エ門後妻って・・・・
名前は無いの???
今でしたら、本人の名前を前面に書くのに、そんな時代だったんですね。。
損の時代ですが、結構長生きしていて、享年81歳とか79歳というのも結構多くって、人生50年って言ってた時代の割には凄い長寿なのには、あらためてびっくりしました。。
旬の自然の恵みをしっかり頂いてたのでしょうね。。
今回のメインはこれからです。。
安芸郡田野町へ移動です。。。
高知県安芸郡田野町・福田寺
実は、幕末の志士の中にもご先祖様がいらっしゃって、
高知の方ならご存知の人も多いのですが
「野根山二十三士」の川島総次友利
も、五代前のご先祖様になります。。
今まで話には聞いていたのですが、今回初めての訪問です。
業を煮やして呼ばれたのか?
色んな所から話が湧いて来て、導かれるように行ってきました。。
文政7年(1824)安芸郡岩佐村(現・北川村)の関所番卒・川島七五郎の子として生まれ、元治元年 (1864)年父に代わって職を継ぐ
妻は、中岡慎太郎の長姉・縫で、明朗闊達で常に国事を憂い勤王の志を抱いていた
享年41歳
辞世の句 「奈半利川 かへらぬ水の底ふかく 尽す心のあわとなりぬる」
二十三士のなかで最高齢です。
尊王攘夷と土佐勤王党の武市半平太(瑞山)の釈放を求めて露と消えています。
元治元(1864)年7月、田野の郷士清岡道之助を首領として、安芸郡下の尊王攘夷派23人が北川村野根山に集結し、藩に対し「藩政改革、攘夷、瑞山の釈放」の嘆願書を提出した。
「私たちは軽輩ながら、殿様の御恩は何よりも有難く、ひとえに土佐守様の馬前で討死にすることだけを願うものである。
国事につき思いが激しく、やむを得ず紙面にしたためて差上る次第、どうか出すぎた点をお許し頂きたい、ここに屯集していることが罪にあたるならば、後日どのような罰にでも処していただきたい。(原漢文)」との嘆願書だ。
これに対し藩は、嘆願の内容は全く問題にせず、直ちに徒党強訴とみなして召し捕えを命じ、手向かいする者あればその場で殺してさしつかえないとの方針を示した。当時藩の大監察だった後藤象二郎は吉田東洋派であり、乾退助(のち板垣退助)もまた武断派だった。
ともに容堂の側近にいて勤王運動弾圧の先頭に立っていた。
藩は討伐の軍を送り、道之助ら一行は一時阿波までは逃れたが、蜂須賀氏の兵に補えられ送還されて刑場の露と消えた。
(坂本龍馬記念館の説明文を引用)
9月3日に捕えられ、9月5日の早朝には斬首されていますが、、
これも偶然なのか、私の誕生日が約100年後の9月4日です。。
辞世の句
「奈半利川 かへらぬ水の底ふかく 尽す心のあわとなりぬる」
この三年後には、明治維新が起こったのですが、、
どの様な想いだったのでしょうか?
意識を集中してみると、
やるだけのことはやった・・・
やむにやまれぬ強い思いによって突き動いたまで
という意識が伝わって来ました。。
吉田松陰の
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
という想いと全く同じである。。
このような事をすれば、当然弾圧されるであろうに、それを分かったうえで、それでもやむにやまれず行動に移した。
これが日本人の魂の部分に刻まれているのです。。
今を生きたんでしょね。
今の時代を生きる私たちには、計り知れない思いが詰まっている。。
そんな、ご先祖様や偉大なる先人たちが、
今の世の中をどう思うでしょうか?
子孫たちよ・・・
よくやっているね。
自分の人生をイキイキと生きてるね。
物質的な豊かさと心の豊かさの両方感じなよ~~。
って言ってくれてるでしょうか?
それとも、不甲斐なく思っているでしょうか?
よ~~~く、自分の胸に手を当てて聴いてみる必要がありますね。
福田寺を出て、室戸岬方面に走っていると、中岡慎太郎生家って看板が目についたので、そちらを走ってみる事にしました。。
高知県安芸郡北川村 バイパスも出来ていて、国道55号線から30分もあれば着くと思います。
川島総次友利の妻、縫さんは、中岡慎太郎の長姉です。。
この家で生まれ育ったのでしょうか?
詳しくはわかりませんが、、
中岡慎太郎は、陸援隊を組織し、坂本龍馬と同じく京都河原町の近江屋事件で暗殺された。
享年26歳
何人かに転売されて、昭和40年代に復元されたようですが、とても居心地の良いところでした。
こんなところに住んでも良いかな~って思いました。
自分のご先祖様に想いを馳せてみる事も大切です。
このような人に限らず、誰が欠けても今の自分自身は無いのですから。。
また、一族的なトラウマや集合意識の浄化にも役立ちます。。
ご先祖様が一番喜ぶことって何でしょう??
それは、子孫が幸せで、自分の人生をイキイキと生きている事です。
今の瞬間、瞬間を精一杯楽しみながら生きる事が、先祖供養にも繋がっていくのです。
ご先祖様に、愛と感謝の光を送りましょう。。
いつも読んで頂き、本当にありがとうございます。
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知識だけではなく、体感がとても大切です。
自分本来のエネルギーを感じたり、外のものとの共鳴や調和する感覚を身に付けなければ、絵に描いた餅!頭でっかちになるだけです。。
どうぞ体感しに来て下さい。。
私神様なので、私に愛に来て下さい。
きっと元氣に成りますよ。
あなたが仮に否定しても、
あなたの内側にあるエネルギー(神)を感じて元氣になってしまいますから(笑)
でも、勘違いしないで下さいね。
私が神様で、あなたが信者ではありません。
あなたが神様なのです。
自分の中の神様を感じに来て下さいね。。
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