今回は時々ここにも書いてきている息子の吃音についての話しです。
少し前、吃音の子どもを持つ親の会に参加してきました
親の会とは別会場で子どもの会もありました。
吃音を持つ高学年の子どもが対象で、みんなで吃音について話し合う時間が設けられていました。(これ、息子が行きたいといったら、いつか連れて行きたいな〜と思いました)
今回、この会に参加して気がついたことがいくつかあります。
年中のときよりは、波はあるにしても親も保育園の担任の先生もよくなってきていると感じていた息子の吃音症状。
でも息子自身は「俺の話し方はかっこわるい」「どうしてみんなのように話せないのかな」、とわたしに伝えてくることが増えていました。
今回、参加して自分の吃音についての間違いに気がつけました。
吃音には3種類あります。
▪️はじめの言葉を繰り返す連発(れんぱつ)
▪️はじめの言葉を伸ばす伸発(しんぱつ)
▪️はじめの言葉が出ずに、詰まって話す難発(なんぱつ)
一見よくなって聞こえる難発ですが、
連発→伸発→難発の順に悪化しているらしいのです。
これは本人の心の葛藤から、周りをより意識した話し方に変わっていってるということ。
心理的な苦しさは増していっているのだそうです。
難発で声が出ない時には気管支が詰まるような息苦しさを感じる子も多いと聞きました。
わたし含め周りの親御さん方も、講演をを聞きながら涙してる人がたくさんいました。
一言を話すこと、
それがどれだけ大変なのか。
体験談もお聞きかすることができました。
次第に話すことを諦めてしまい、質問しても「わからない」としか返さなくなる傾向があるようです。
(今回の参加者の親御さんも「うちもそうです」と言ってました)
何度も諦めて、それを日々繰り返しつづけることの苦しさ。
わたしも目を逸らさずに息子と一緒に受け止めたい。そのうえで一緒に彼の明るい性格を守っていきたいと思います。
この翌日に、じいじ(わたしの父)が息子の話し方を真似したようなのです。
さんざん、吃音の対応を話していたのに!!!!と、わたしは心のなかでブチギレでした
もちろん、意地悪で真似したわけじゃないことはわかってます。父と息子は大の仲良し。
だけども、息子にとっては傷口に塩を塗られる状態。
周りから見て、「大丈夫」ではなく、
あくまで本人の心に寄り添っていかなければならないことを伝えることの難しさ。
それが特に、子育経験者(祖父母…)、そして保育士さん、学校の先生にはなかなか先入観やらご本人のプライドもあるのか伝わりにくい…
「全然問題ない!大丈夫よー!」と返ってくる…
連発することは吃音をもつ彼らにとっては、自然に話すことに集中できている話し方。
それを「ゆっくり話せばいいんだよ」とか、「もう一度言ってごらん」とは言わないでほしい。
とは言っても、わたしも息子が吃音になるまでは知らなかったことで、学生時代よクラスメイトに吃音の子がいてもそんなに重たく考えてはいなかったのですが
重たく考えてほしいわけではないのだけど、やっぱり周囲の接し方によっては、本人は本人らしさを奪われてしまうことになりうる大切なことなので。
他校にある言葉の教室にも息子と一緒に行ってきました。
ここは言葉を治すのではなく、これから吃音とどうやって付き合っていけばいいかを一緒に考えてくれるところのようです
これから、小学校に入ってから担任の先生やお友達に伝えるときのアドバイス等もしてもらえるようなので、わたしも息子と一緒に息子が生きやすい道を作り上げていくために勉強させてもらえたら、と思っています