お袋が病院から帰ってきたら、直ぐに、鍋を洗面所で洗い始めました。
多分…、涙を俺に見せたくなかったのだろう。
入院して、いよいよ、抗癌剤と放射線治療が始まった。
見舞いに行くと、治療の日はぐったりとして鋭気が全く感じられない
しかし、辛いだとか、嫌だとか、まったく言わず、笑顔で接してくれた
普通だと、副作用で髪の毛が抜けるのだが、幸か不幸か、もともと、髪が無かったので、まったく違和感なく対面することができたし、本人も毛が抜けるというショックを受けることなく、家族としてもほっとしていた。
抗癌剤と放射線が功を奏して、入院3ヶ月が軽く過ぎ、ひょっとしたらと思うようになった。
その頃から相部屋での人間関係も、ねっからの営業マン精神を発揮し、同部屋の人から注文を頂くことに成功した
体調も良く、歩き回ることも出来るようになっていた。

(我が家族全員が揃った最後の写真・妹がシャッターを切っている)
そして6ヶ月が経とうとした時、残酷なことを言われた。
退院をしてくれとのことだった。
全然完治どころか、進行していると思われるのに、退院せよとのことだった。
保険点数が6ヶ月までと6ヶ月以上とでは違うらしかったが…
しぶしぶ退院せざるを得なかった。
車で自宅へ帰る途中、親父は…
「大学病院へ紹介状を書かれるということは、相当悪い状況の時だ。俺の病気は癌だろう?分かってるんだ。教えてくれ」って聞かれた。
俺は「違うよ。ちゃんと治療すれば治るからさ」と運転しながら、そう言った。
いや、そう言うしか出来なかった。
車の中は、重い空気で押しつぶされそうであった。