私たちは、相手になにげなく触れているが、

ふれられていることを許せるとすれば、

それはその人が相手を信頼しているからに他ならない。

逆に言えば、ふれる人は、

まずはその人に信頼してもらわなくてはならない。

「ふれる」と「ふれられる」が、

不安や恐怖を感じさせない仕方で同時に成立するのは、

信頼が不可欠になる。

 

相談者の多くは、問題を解決するために

「止むを得ず」の場合も「積極的」な場合もある。

少なくとも、カウンセラーに心から

触れられることを望んではいないという不確実性を自覚しておきたい。

また、ふれられる側の不確実性は、

ふれようとしている相手のリアクション(反応)が

読めないという不確実性である。

つまり、操作の不確実性を超えることが、

ふれられる側にとっての信頼になる。

 

これに対して、ふれる側のリスクは、

ふれることによる相手のリアクションが読めないという不確実性である。

つまり、リアクションの不確実性を超えることが、

ふれる側の信頼になる。

良導とは、この異なる二種類の不確実性が出会う出来事になる。

信頼が特に意味を持つのは、接触の瞬間である。

実際にホメオストレッチが始まってしまえば、

不確かさは減少し、「ふれるとふれられている」という確かさの中で、

緊張は安心に変わっていくことが多い。

ふれる側はふれるという出来事の主導権を行使し、

ふれられる側は逆に主導権を相手に手渡すことが大切になる。