信じるという行動には、一切の不安がない。
脱力した身体に不安は宿れない。
一方、迷いや悩み、苦しみは意識によって起きる。
これらの苦悩の根っこには、識別による疑いがある。
だから、情緒的、身体的緊張を伴っている。
信じるということは、未経験、未確認なことを
受け入れることで、考えることではない。
信じるにためは、優れた感性がいる。
その感性は常に身体的な直観である。
理論に導き出された答えが、
体が感知した答えより正しいとは限らない。
いくら考えても及ばないことはごまんとある。
そういう時は、判断から離れて身体に聴くことである。