自己成長のための「勉強」が好きだが「チャンス」を失う。

自己成長に取り組む人が陥りやすいのが、「自己満足の勉強」である。

セミナーや講演会に通う、様々な資格を取る。

あるいは、経営の勉強、果ては、プログラミングの勉強などとキリがない。

もちろん、勉強自体は悪くない。むしろ仕事に関連して、

つねに勉強し続けるべきだ。ただし、これらには大きな落とし穴がある。

それは、「その勉強の目的を忘れてしまって、

勉強することそのものが目的になってしまう」ということだ。

 

「自己成長」と言って机上の勉強ばかりしている

目標は、ある目的の成果を出すことだろう。

学習もそのための手段である

。ところが、勉強好きの人に多いのが、

本来の目標や目的を忘れて、手段が目的化してしまう。

勉強のための勉強になってしまいがちだ。

つまり、「自己成長の学習」が目的になってしまって、

それを使って何かを達成すること」が二の次になってしまう

「勉強して、もっと成長して、

ふさわしい自分、自信が出来たら頑張る」などと、

大事に成長の成果(?)をため込んでいる人がいる。

「もっと準備ができてから」「もっと勉強してから」などと

学習、勉強(インプット)することが自己成長になると思い込んで、

活動(アウトプット)することをためらってしまうのだ。

ためらうというより、傷ついたり、相手に認められないことを

恐れているのかもしれない。

だから、「もっと成長してうまくできるようになったら」と、

永遠に準備し続け、完璧な形になるまで、

自信がつくまで活動しようとはしない。

 

自分の成長ばかり考えて、「他者や周囲への貢献がない」

インプット(勉強)ばかりで、アウトプット(活動)しない人は、

自分を守ることに精一杯で、周りに貢献しない人ともいえる。

人は「自分のため」ではなく、「他者」「社会」のために動くとき、

大きくに成長できる。たとえ、その人が成長したとしても、

アウトプットがないということは、

他者や周囲の人々には、その成果が共有されないということである。

最終的に何が人生を発展させるかというと、

それは「他者との出会いと経験」だ。

人生の転機や成長は「他者」が関わっている。

他者との出会いが、自己を変容させていく。

自己成長の勉強は、そのきっかけをつくる一つなのだが、

「勉強すること」ばかりに目を向けていては、

せっかくのチャンスも逃してしまう。自己統合をすすめ、

活動の中で社会的自我を育てることが自己成長には不可欠なのだ。

基本は実践学である。