生活が豊かになれば、人間はより不幸になる。

その理由は退屈な時間が増えるからだとラッセルは述べています。

こうなれば、単純に豊かさを喜べません。

また、ガルプレイスは、現代社会は、

自分が何をしたいのか自分で選べなくなっていることが不幸であるとも・・・。

確かに、あらゆるものが消費のために準備され、

私たちは自分で選んでいるように錯覚しながら、

実は選ばされているのかもしれません。

 

さて、先ほどの退屈についてですが、

17世紀パスカルは退屈について、次のように述べています。

「人間の不幸はどれも人間が部屋に閉じこもって

じっとしていられないから起きている。

そのためにわざわざ自分で不幸を招いている」と。

確か、徒然草の吉田兼好も同じことを言っています。

 

退屈の反対は快楽ではなく興奮です。

退屈している人間の求めていることは楽しいことではなく

興奮することかもしれません。

ニーチェは、「退屈した人間は苦しみを欲する」と切れ味鋭く分析しています。

退屈ほど人間を苦しめるものはないのですが、その退屈よりも人間は、

負荷がかかる状態(ストレス状態)を選び、生きていることを実感したいのです。

衣食住が足りている現代人は、何もしなくとも、何かに取り組んでも、

なんだかわからない不幸に襲われてしまします。

ハイデッカーはこれを不自由のない生活に巣食う不幸だと説明しています。

確かに、ギャンブルなどは金銭が欲しいからではなく、

賭け事に興奮して不幸な状態から自分の思いをそらし、

気を紛らわせることができます。

 

このように、道楽や趣味は現実から目をそらす

逃避であると先のラッセルは手厳しいのですが、

幸福論にとって大切なのは、外からどんなに深刻な問題がやってこようと、

身近で穏やかな幸福を押しつぶそうとする時こそ、

かえって幸福論の真価が問われます。

幸福論について、ストレスケアの観点から考察することも大切な課題です。

 

22日の桜台教室の課題は「幸福について」です。関心のある方は是非