人生は体験したことではなく、感情が集まったものである。

確かに、人生の価値は、何を体験したかということではなく、

その体験をどう受け止めたかによる。

 

現在の幸福の尺度は、

心理学的な質問票による主観的な「快」感情を基準としている。

しかし、それは、主観的厚生を計測することで

特定の感情を抽出しようという試みである。

 

例えば、日本の幸福度が高い県は福井県であるが、

その尺度は、刑法犯の認知数、1世帯当たりの貯蓄額、

老人福祉費、業率の低さ、障害者雇用の高さ、離職率、

出生率、マイホーム所持率、保育所定員数、平均寿命や

病床充実度などであった。

 

このように人は、「快体験」を幸福の基準としている。

その結果、自分の感情こそが重要だと信じ、

ますます多くの喜びを渇望し、苦しみから逃れようとする。

しかし、良く考えると私たちの感情は、

まるで気まぐれな天候のように刻一刻と変化し、

喜びを体験しても直ちにそれを失くしてしまい、

また、一からやり直さなければならない。

 

 このように、感情を追い求めても心は決して満たされない。

感情を追い求めることをやめたときに初めて心の苦しみから解放されていく。

 

真の幸福は、感情とは無関係であり、

感情を追求しないことではなかろうか。

すなわちそれは、「ありのまま」というこの瞬間を生きることに

他ならないと考える。

 

あれこれ判断せずに、今の考えにもこだわらず、

出たものを出たままに、何も手を加えずにいれば、

心を煩わすことはない。幸せな感情を得ても、

それを失いたくないと考えてしまい、

また、そんなことを考えては駄目だと思うのも囚われた世界である。

 

2続く