リスク管理の欠点は、常に人間の願望の範囲内で行われることです。
「大変だ」という意味は、想定外ということになります。
また、楽観的な人間にとって、最悪の事態を考えることは、
そう簡単ではありません。
だからといって、リスクマネジメントが無駄だというつもりはありません。
人間の知性は「分析」することが重要になっていて、
常に、AとBを対立関係に置いて思考します。
つまり、心は「分別、識別」を絶え間なく行っているのです。
したがって、Aと考えていたことがBになれば、
Bを否定し、怒りをあらわにします。
そして、Bに対して否定し、Bを変えようとします。
まったく、心より「忙しい」ものは他に類がありません。
人間が予期する不安や心配も時間的展望(過去・現在。未来)
を「分離」した結果です。
私たちの知性(新皮質)は、「危機」に直面した場合、
迅速かつ正確にそれに対応することができません。
確かに、その対象が「なんであるか」という分析は行いますが、
それがもたらす危機を回避する行動は出来ないのです。
「釈尊」の興味深い話があります。
ある男が道を歩いていると、
突然、どこからか矢が飛んできて、その男に刺さった。
男は、その矢がどこから飛んできたのか、なぜ、自分に
刺さったのか・・・と考えている間に死んでしまった。
釈尊は話をこう続けます。
「矢が刺されば、速やかに抜きなさい」
私たちは、この男のように、いつまでも刺さった矢を
「なぜ」「どうして」と考えているのです。
この刺さった矢を「抜きとる」のは、知性ではなく、
直観的行動です。
そして、この直観は「脳幹」が生み出していることを
忘れてはなりません。
キュブラーロスの受容までのプロセス
否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容
死にゆく患者の心理的プロセス
死の受容過程
今日は昨日したことに、明日は今日することによって左右される。
今日一日自分を愛したか。
花を敬い花に感謝したか。
小鳥をいつくしんだか。
喜びをもって山を見上げ、畏怖を感じたか。
涙の河のなかで、時間を友にするのだ。
「脳幹」の可能性を引き続き考えていきます。