神峯山寺へのお参りを
済ませた帰り道、とうに
お昼時を過ぎていました。
どっかでランチ食べよ~
お腹ぺこぺこだぁ…と
摂津峡のすぐ横の道を
いそいそと走っていて、
ビュンと走りすぎる瞬間
『んっ?
いま神社さんあった?』
でも、すごーくお腹が
すいていたので、、
『ま……いいかな。』
と、お店を探しに駅の方へ
車を走らせていました。
10分ぐらいは走ったかな。。
思い出すのは先ほどの
道沿いの小さな神社。
うーーーーん
やっぱり……。
なんか気になる
ちょっと戻ろうかな…?
やっぱり神社
こんなところに
ひょっこり神様が
だけど……
一車線&一車線で
路肩もないから
車が停められない(笑)
すぐ横のところが確か
バス停になっていたので
その手前に少しの間だけ
停めさせて貰おう!と
Uターンを決意。
が!
脇道もないので
Uターンが出来ない
出来ないまま進んでいると
赤い文字が目に入る
【この先行き止まり】
あっ
行き止まりってことは
道があるんや~
よしここに入って
Uターンしよ
下っていく坂道。。
曲がった細い1本道。。
Uターンできない(笑)
あっ駐車場
……と思ったら、
チェーンかかってる
えっ……
お寺
高野山 真言宗って
書いてたなぁ
お大師さま居てはるかな
せっかくやから、
お参りしていこう
ってか ・・・(笑)(笑)
偶然入ったそこに
お寺あるとか
心踊るような流れに、
ニヤニヤしてきました
本当に行き止まり・・・
小さいお寺。
鐘……じゃないわ
目玉のような時計でした。
本堂のご本尊は
お不動さまでした
重なるお不動waveで、
もうすっかり私は
お不動さまが大好きです
お不動さま・・・
今日もわざとこっちへ
呼び寄せてくださったんや・・・
こんな私なんぞに
なんと有難いことでしょうか。
般若心経・不動劔の文・ご真言
感謝の心をいっぱい込めながら
おつとめさせて頂きました。
そして、左側にある
一回り小さなお堂は、
【薬師堂】でした。
扉の2mmぐらいの隙間から
頑張って中をのぞいてみたら
金ぴかの薬師如来さまが
神々しく立っておられました
コラーー!
のぞくなーー!
このばちあたりもんがぁー!
って怒られそう。。
お大師さんいてなかったね。
小さなお寺だけど、なんでか
このお不動さんの前の空気が好き!
こちらの霊山寺を
調べてみようかな。
境内のベンチに座ります。
えっ
開成皇子が開山したって
さっきの神峯山寺繋がり
(この時点では、この前の神峯山寺の記事に
書いてある事をまだ知らなかったんです)
※以下、超個人的なファンタジー解説
弟である垣武天皇が778年に
箕面に行かれた時のこと。
『何ここ~……
めちゃ…キレイやん
帰ったらすぐ
兄ちゃんに言わな』
『兄ちゃ~ん
めっちゃキレイな森、
あるねんで
小川のせせらぎが素敵で
空気や水は透き通ってて
鳥や虫が鳴いててな。
ずっと奥まで行ったら
大きい滝もあってな、
凄かってんで~』
開成皇子
『えっそうなん?
そんなキレかったん?
おれも行ってくるわ』
開成皇子が箕面に向かうと
薄紫色の雲がゆらゆら
たなびいていました。
その雲に導かれるように
奥へ分け入ると、大滝が。
大滝のところに着くと、
近くにあった自然石が
不動明王に変わり…。
『皇子を待っていた。
あの地に寺を開けよ。』
と告げらたそうです。
その時の不動明王が、
本堂にご本尊として
今でもまつられています
1500年後半に、高山右近
(キリシタン大名)からの戦火にあい
伽藍もお堂も……ことごとく
焼き尽くされてしまいます。
が、当時の住職が
命懸けで本尊を守り抜き、
江戸初期に再建されました
そんなこんなで・・・
現在はお堂が2つだけの、
小さなお寺になってます。
一言不動尊と呼ばれ、
『一言祈れば
願意満たざるなし』
お願いを叶えてくれます
呼んでくれたお礼だけ言って、
なにもお願いしてこなかったよ……
帰るとき。
赤文字の看板のすぐ横に、
一言不動尊って石碑が
なんで気づかなかった…
Uターンするのに必死か・・・
榊とか差し上げたいなぁ。
(開けられへんけど)
ちょっと淋しいですね・・・。
摂津峡の山と、道路に挟まれた
小さな小さな神社さん
霊山寺へお参りの方とか
摂津峡へドライブの方、
たくさんの人がこちらにも
お参りに来て下さいます様に
色んな神さま仏さまとの
偶然(必然)の出会いに感謝
そして見えぬお友達
今日も読んでくれて、
本当にありがとう~
霊山寺
〒569-1052
大阪府高槻市霊仙寺町1丁目11−1
072-699-0001
白山神社
〒569-1137
大阪府高槻市岡本町24−1
072-692-2355