InstagramやTwitterなら何も考えずにつらつらと書き出すことができるのに、いざブログを始めようとするといつものようにすっとで出てこないものだ。特に何も違いはない、ただこのネットの海がプライベートビーチからみんなの海水浴場に変わっただけだ。不特定多数に開かれている、ということを無意識に意識しているのかもしれない。無意識の意識、なんて厄介な矛盾だろう。でもこのことを推測している時点で無意識ではないのかもしれない。堂々巡りの迷宮入り。そんなこんなで初めてのブログです。

 

 

 実はもともとInstagramで2日か3日ごとにコラムを投稿していた。これは所属しているイベント団体の活動の一環でチームの人たちと始めたことなんだけど、半月経った頃くらいから投稿することがまるで義務であるかのように感じ始めて、「書くことが好きで始めたのにどうしてこんなに苦痛なんだろう」という違和感が拭えなくなった。そこで、Instagramを更新するのではなく自由気ままにできるブログでも書いてみようと思い立ったわけだ。体良く言ってはいるが、要は逃げた、のだろう。

 

 

 自分で言うのもなんだが、昔から割とどんなことでも卒なくこなすタイプだった。好奇心旺盛な性格も相まって、興味のないことには目を向けず、好きなことだけに手をつけ、したくなくてもしなきゃいけないことはそこそこに終わらせる。よく言えば効率よく、悪く言えば取捨選択して力の分配をしてきた。だから好きなことは続くし、どうでもいいと思っていたことは続かない。絶対これはやり続けたほうがいいよ!と言われても、面白くない、わくわくしない、好きになれないことはやらない。逆に、他人がいくら無駄だと感じたことでも楽しいなら飽きるまでやり続ける。

 

 

 自分にしてみたら単純明快だが、周りから見ると疎ましく思えるらしい。ちょっと要領がいいからって、頭が回るからってやらなきゃいけないことは適当にして好きなことばっかやってるいけ好かない人。きつい思いはしたくないから、苦しい思いはしたくないから、好きなことに逃げている人。それが、周囲から見た私への評価だろう。

 

 

 ……きつい思いがしたくない?だったら誰が好き好んで文学部なんか選ぶんだ。将来性に乏しい学問を選ぶんだ。

 

 

 ……苦しい思いがしたくない?だったら誰が好き好んで浪人なんかするんだ。一年間ずっと勉強に身を捧げるんだ。

 

 

 お金がない、周りがしてるから自分もする、嫌われたくない、自分のレベル的にはこれぐらいが限界。そんな妥協に妥協を重ねて流されるままの方が「逃げ」じゃないのか。右向け右でみんな右だから僕も右、なんかよりも、首動かすのめんどくさいから真っ正面見続けたり、自分は左が好きだから左向いたり、それのどこが「逃げ」ていることになるんだ。

 

 

 それはだた周囲から逃げたわけじゃない。同調性が重んじられる、空気を読むことが求められる環境から逃げたわけじゃない。

 

 

 逃げた方がいい、そうしない方がいい、そうしたくない。そんな自分の心の叫びが生んだ、

 

 

 「逃げ」という一手だ。「流されない」という選択だ。

 

 

 周囲に同調する、というのも一手だろう。なんとなくで生きて流れに身を任せるのも一手だろう。でも私はそんな手を選びたくない。

 

 

 私は、私で、「好き」を突き詰めていきたい。「面白い」を作っていきたい。それがたとえ世の流れに逆行してても、どんな人に反対されようとも、これだけは譲りたくない。譲れない。

 

 

 自分の「好き」を、「面白い」を、多くの人に言葉で届ける。

 

 

 これが私の原点だ。