時計の針が午前1時を指した。ように感じた。うちにある時計は全てデジタルだから、長針と短針が大体三十度分の隙間を生み出すことなんてあり得ない。そう、あり得ないのだが、どうしてもそのように感じるのである。こればっかりは感覚的な問題だから、理屈を説明しろと言われてもどうしようもない。実際には「1:00」が机の上のデジタル時計によって表示されている、スマホの液晶画面に表示されているだけなのに、どうしても頭の中じゃ鳩時計がパッポーパッポー。1時なのに二度も鳴いた。夜凪の中に、微かな夏の匂いが混じる。

 

 

 こんな風に、徒然なるままに、心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書きつくったことで、あやしうこそものぐるほしけれになってしまった兼好法師の気持ちが今はよくわかる。どうでもいいことで頭の中が埋まっていく感覚。ニューロンが止めどなく繋がっていって、脳内の引き出しにしまっていた色々な事が引き摺り出されては結び付けられて、宛先も無く広げられていく感覚。こんな感覚にこの身が蝕まれる日は決まって眠ることができなかった、この日もその例に漏れずに眠気に襲われる気配は無い。ベッドで横になっていてもどうせ無駄だ、と諦め、この際珈琲でも淹れようと思い電気ポットに水をぶち込みスイッチを入れる。五年目の付き合いになるティファールのこいつ、今宵も普段と変わらず元気にボコボコと音を立てる。お湯が沸くのを待つ間、煙草片手にバルコニーへ出る。がりっ、とカプセルを犬歯あたりで噛み潰し、軽く息を吸いながらライターで火を灯す。メンソールがすっと身体中を駆け、視界がクリアになっていく刹那に身をまかせながら、ゆっくりと息と紫煙を吐き出す。そろそろお湯も沸いた頃合いだろう。

 

 

 月明かりに照らされる白濁色の靄とアディダスの薄いピンク色したシャワーサンダル。過ぎた時間に取り残され、みっともなくしがみついていた灰がぽとりと落ちた。最近のお気に入りの歌が音量3くらいで鼓膜をノックし続ける。壁の薄い賃貸のアパートだ、小さく漏れたどこかの部屋の話し声が時々顔を覗かせる。マグカップを満たす黒々した液体の香りが鼻腔を占領していった。ゴムでまとめあげた髪を撫でる5月の空気に、少しづつその生命を燃やしていく煙草の手触り。その煙と珈琲の独特な苦味が口いっぱいに広がる。どこかで、珈琲と煙草の組み合わせは口内をクソした後のトイレと同レベルの匂いにするだなんて読んだことがある気がする。こんな眠れない深夜に、五感をフル稼働しながらせっせと口の中をトイレにしていたって考えると、なんだか笑いがこみ上げてたまらなかった。

 

 

 同じ時間同じ月の下では、どこかで誰かが、ご飯を食べているかもしれない。画面と睨めっこしながら迫りくるリミットと戦っているかもしれない。腹をボリボリ掻きながら鼾を響かせているかもしれない。嬌声を上げながら肌を重ね合わせているかもしれない。まさに迎えようとしている朝に怯えているかもしれない。目的もなくふらふら歩いているかもしれない。友人と寝ずの会話を楽しんでいるかもしれない。一日何事もなく生きながらえたことを感謝しているかもしれない。銃を片手に息を潜めているかもしれない。そんな中、自分は口の中をトイレにすることに勤しんでいる。それがどうにも滑稽で仕方がなかった。

 

 

 医学の進歩だか食生活の充実だかでこのご時世人生百年時代なんて言われる。それだけ長い人生だ、今この瞬間なぞ取るに足らない無限にあるようなものに感じる。けれど、過ぎ去った途端にそれはもう取り返すことのできない有限なものになる。無限にあるように感じる時間を無為に過ごす贅沢さと、有限な時間を無為に過ごした勿体なさ。そのターニングポイントを、今私たちは歩いているのだ。

 

 

 徐々に東の空が橙色に染まっていく。午前4時をもうそろそろ時計の針が指す。ような気がした。