次は西施(セイシ)について、考えてみましょう。
西施にはついては、松尾芭蕉の【奥の細道】に、『象潟(サキカタ)や 雨に西施が ねぶの花』という句があるので、俳句に興味がある方には、お馴染みの美女だと思います。
西施は胸の病気を患っていたので、時々胸に手を当てて、苦しそうな表情をするのですが、その姿がまた何とも言えず魅力的だと、評判になりました。
それを聞いて、都中の女達がこぞって真似をしました。
ある村に住んでいた、とんでもない醜女(ブス)も、西施の評判を聞いて、『自分も西施の真似をすれば、美しくなるだろう』と、勘違いして、胸を手に当てて、苦しそうに眉をひそめながら、村中を歩き回るのようになりました。
ところが、醜女が眉をひそめると、断末魔を迎えたような、何とも恐ろしい顔になりました。
村人は恐れをなして、女が通りかかると、家の中に逃げ込んで、堅く戸を閉めて、女が行きすぎるのを待ったそうです。
村道の角で、いきなりその女と顔を合せて、気絶したという笑い話もあります。
その故事から『顰にならう。(ヒソミニナラウ)』と言うことわざがうまれました。
このことわざは、良し悪し、似合う似合わないを考えずに、むやみに人のまねをして、笑いものになると言う意味です。
このことわざは、現在では、他人と一緒に何かをする時、謙遜して言う場合にも使われますが、元来の意味は、上記のとおりです。
しかし、現在の日本には、顰(ヒソミ)に習っている人が、なんと多い事でしょう。
せめて、出会った人を気絶させない程度の気配りは、必要かと思います。
西施がどれほど美しかったかという話に、彼女が川で洗濯をしていると、魚が見とれて気絶したという話があります。
それにちなんで、西施は【沈魚美人】ともよばれています。
魚を気絶させられるなら、漁師のおかみさんに、ピッタです。
魚が気絶するほどの美女とは、一体どれくらいの美女なのでしょうか。
しかし、魚を気絶させるほどの美貌を持った西施にも、中国の物語は、ちゃんと欠点を用意しています。
中国四大美人の最右翼と謳われる西施にも、ただ一つの欠点がありました。
それは、西施はひどい大根足だったのです。
だから、中国の絵に描かれている西施は、すべて裾の長い裳(昔の中国のスカート。日本の裳とは少し違います。)を着ています。
西施も、自分の欠点を熟知していて、長い裳裾で大根足を隠していたのでしょう。
西施は、現代で言う、典型的な下半身デブだったのです。
しかし、彼女には、それを補って有り余る美貌があったので、余り贅沢な事は言えません。
なにしろ、顔だけで、春秋五覇の一人である、呉王夫差を悩殺して、とうとう呉の国を滅ぼしてしまったのですから。
しかし、これには、西施にまつわる、悲運の物語があります。
西施は、もともと越の国の平凡な農家の娘でした。
ところが、当時の越は、呉との戦いに敗れ、越王勾践(コウセン)は、呉王夫差から奴隷に近い扱いを受けていました。
越王勾践は、それを屈辱に思い、日夜復讐を誓っていました。
これが故事成語で有名な、【臥薪嘗胆(ガシンショウタン)】です。
そこに登場するのが、勾践の家来の【范蠡(ハンレイ)】です。
そして、范蠡が、呉王夫差への復讐の秘密兵器として、白羽の矢を立てたのが、西施です。
魚を気絶させるほどの美貌を誇る西施を使って、夫差を骨抜きにして、呉を滅亡させようという作戦です。
そのため、西施を都に連れて来て、呉王夫差を骨抜きにするための、あらゆる手練手管を教え込みます。
西施は、范蠡から愛国心を植えつけられ、越国のために殉じる事を、誓います。
百戦錬磨の軍師、范蠡にとって、世間知らずの田舎娘、西施を洗脳するくらい、たやすい事だったでしょう。
こうして、西施は、夫差への贈り物となって呉へ行き、そのずば抜けた美貌で、夫差の寵愛を一身に集め、首尾よく夫差を誑し込み、とうとう呉を滅亡へと追いやってしまったのです。
結局、西施も、呉・越の政争の道具として使われ、悲運に倒れた、美女の一人です。
西施が、終わりを全うしたかどうかについては、いろいろな説があります。
可憐な少女だった西施を、むりやり呉・越の戦いへ引き込んだ張本人の范蠡は、西施があわれになり、西施を連れて他国へ行き、静かな余生を送らせた、と言う説。
西施の美貌を見た勾践の妻が、夫をとられる事を恐れて、家来に命じて、西施を生きたまま、袋に入れて、長江に投げ込ませた、と言う説。
いろいろな説がありますが、私は『他国で静かな余生を送った』と言う説を採りたいとおもいます。
そうでなければ、西施があまりにもあわれです。
とにかく、大根足は別として、希代の美女だった事は、間違いないようです。
こうして西施は、絶世の美女に生まれついたがゆえに、数奇な運命にもてあそばれて、傾国の美女として、歴史に名を遺したのです。
【美人薄命】と言いますが、美女に生まれて悲運に倒れるのと、そこそこの容貌で生まれ、健康で平凡に、長寿を全うするのと、世の中の女性は、どちらを望まれるのでしょうか?
男の私には、全く分りません。
最後に、【西施大根足説】について、私見を述べたいと思います。
【西施大根足説】では、ひどいのになると、『魚が気絶したのは、西施の美貌を見たからではなく、裳裾をからげて川に入った、西施の大根足を見たからだ。』という説もあります。
思うに、例え、西施の足が桜島大根ほどの大きさであっても、魚は気絶しないでしょう。
第一、足が桜島大根ほども大きいなら、裳を着ていても、隠せるばずがありません・
まったく、眉唾な話です。
これまた、中国得意の、白髪三千丈式の、誇張でしょう。
私の考えでは、西施は大根足ではなかったと思います。
魚が気絶するほどの大根足なら、夫差も、ビックリして気絶したはずです。
とうてい、骨抜きにされるほど、溺愛したとは思えません。
それに、西施大根足説は、『西施は画の中では、いつも裳(中国式スカート)を着ている』、と言った事から出た説です。
考えるに、裳は、西施が生きていた時代の流行の服だったのでしょう。
それに、なにしろ、今から2,500年も前の事です。
今ほど流行の移り変わりがなく、服装の種類も、そんなに多くはなかったと思われます。
それに、西施が歴史に登場した期間も、そんなに長くはありません。
その間、裳は当時の服装の代表的な物だったのでしょう。
だから、西施が裳ばかり着ていても、不思議ではありません。
【西施大根足説】は、後世の講談師が、話をおもしろおかしくするために考え出した与太話です。
何故なら、前述したように、西施は胸の病を患っていて、腺病質ですから、魚が気絶するような、立派な大根足を持っていたとは、とうてい考えられません。
日本でも『講談師 見てきたような 嘘をいい』と言います。
やはり西施は、魚も気絶するほどの、ほっそりとした美女だったと思います。
次は、【貂蝉】について考えます。
続く