ヒゲの羽切松尾を御存じ? | ウッドデッキDIY☆MCヨッチャンのBlogⅡ

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MCヨッチャンです。

ヒゲの隊長とは現自民党議員の佐藤さんですが

このお方は元祖「ヒゲ」の羽切さんです。

優しそうな顔をしていらっしゃる。

元海軍局地戦闘機「雷電」の搭乗員として

知らない人は居ないほどという腕の

パイロットです。

1913年11月、

家は農業漁業を営んでいて

静岡県は今の富士市に次男として生誕しました。

彼が就職する頃は日本に昭和の大不況が

起きていて就職先が無く、

親に内緒で海軍に志願したそうです。

当初は軍艦乗りを任命されて巡洋艦に

乗艦しましたが三等兵である自分への

上官の暴力が嫌になり水上機に憧れて

戦闘機乗りを目指したとの事です。

苦労人ですよね。

そして蒼龍乗艦の戦闘機搭乗員として

志那事変に参加し

1938年6月にソ連製爆撃機SB-2を

撃墜、これが羽切さんの初戦果ですね。

この当時はゼロ戦に乗っていたと思いますが

これ、双発のゴツイ爆撃機ですよね。

これが初撃墜なんてすごい。

右から3人目が羽切さんだそうです。

皆、20代の若者達ですよ。

出撃前の作戦指示でしょうか。

一つ不思議に思う事は

写真の搭乗員達の殆どが割とラフな姿勢で

話しを聞いている事です。

もしかしたら写真には見えていない左側には

掲示板かそれとも物が置いてあるのかな?

雷電の横顔。

よく、ずんぐりむっくりだと言われますが

よく見れば流線形の美しい機体ですよ。

インターセプタ―として開発されましたので

馬力の大きな爆撃用のエンジンを搭載して

いますのでエンジン直径がデカいんです。

従って機体胴体の直径もデカくなって、

そして空気抵抗を減らす為に機首のプロペラ

シャフトを延長してカウリングを絞り込む事で

この機体形状になりました。

胴体が太いと言う事は飛行機の最大の死角である

機体下の視界が極めて悪い。

従ってゼロ戦のようなスマートな機体に

慣れているベテランパイロットの多くは

この雷電戦闘機を嫌ったそうです。

その嫌われ者の戦闘機で圧倒的な強さを

見せつけたのが羽切さんなんです。

日本本土空襲に来る米軍のB29爆撃機を

撃墜する事を目的とされた機体ですから

上昇力、そしてスピード、

火器も全てが当時の日本としては高いレベルで

作られていましたが如何せん、

そのB29による爆撃で生産拠点の多くが被災して

おり結局は621機の生産に終わっています。

翼の上で遠くに目をやる羽切さん。

この姿勢でギターなんぞを持たせたら

カッコいいよね。

余りにも優しい人なので時々こうして

空っぽになるのかな?

戦争中の戦士は孤独だよね。

朝、一緒に飯を喰った奴が

その日の夕方には居ない。

それが毎日続くんだ。

私ならとてももたないな。

だから彼らは本当に凄いと思う。

尊敬以外の何もない。

パイロットとしての技量は他のパイロット

達から頭一つ飛び出ているほど高い。

本土防衛の時は数十機の敵戦闘機部隊に

単機で突っ込んで撃墜して戻って来るという

とんでもない腕だったそうです。

その代わり怪我も多くて。。。

戦後は満身創痍で

役所から傷痍軍人恩給の申請を勧められた

事が有ったらしいですが羽切さんは

「腕は上がりますから要らない」

と断ったそうです。

その後に自民党から立候補して

国会議員を4期務めています。

羽切さんは、

政治家になった所感について、

「軍人よりも政治家だった時間が長いが、

戦闘機に乗っていた頃の方が言うに言えない

充実感があった。欲も得も無く純粋に

一生懸命生きて、いつまでたっても

忘れられない思い出がある。

ところが政治は、駆け引きをしたり、

同志であっても足の引っ張り合いを

したりの世界で、

地元にはそれなりの貢献をしたとは思うが、

やはり戦闘機搭乗員としての働きが

満足しているし、誇りに思っている」と語っている

以上、ウイキペディアより拝借。

私は小学生5年生の時に羽切松雄さんの事を

知りました。

このインターセプタ―「雷電」のパイロット。

それは正に生ける伝説でしたね。

1997年1月15日、

前立腺癌悪化により享年83歳の人生を

閉じました。

政治家時代より戦闘機乗りの時代の方が

満足しているし誇りに思っていると

言わせた彼の人生には

何だか自分のこれまでの生き様と重なる

部分が有って、、、

一度で良いから話をしてみたかったなと

思います。