中沢新一さんの講演会に行って、話が面白かったので本を二冊買ってきました。
「古代から来た未来人 折口信夫」という本の中で
『古代人たちは、自分たちの心に浮かんだ考えを無意識のままに、石や木や風景や身振りや声や聖地のかたちを通して、表現しようとした。
文字記録の場合にはゆがんで表現されていることが、自然物をとおして素直にあらわされているのである。(曼荼羅はその自然物を持ち歩けるように表現したものといっていました)
(中略)
人間の思考能力を、「別化性能」と「無化性能」のふたつに分けて考えている。ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性と共通性を発見するのが「無化性能」である。折口自身は自分は「無化性能」がとても発達していると語っていた。
この言い方をとおして彼は、古代人の思考の特徴を示そうとしていた。近代人は「別化性能」を異常に発達させた。その傾向はすでに奈良朝からはじまっていた』という。
講演会の中では、宗教の発祥する前とそのその過程や縄文人の話などから最近の原発の問題にまで話が発展し、興味深い内容でした。
現代人は、学術を土台とした帰納法的な思考をしますが、古代人は自然と近く生活していたためか、森羅万象のメカニズムを肌で感じ、つながりが体感できる能力が強かったのでしょう。
折口氏のいう「無化性能」という演繹的な思考法をさらに発展させ、すべての現象・事象を(宗教から科学の最先端の量子力学まで)一つから説明してしまうのが、ノ・ジェス氏の統合認識学問「HITOTSU学」の観術という新しい認識方式だと思いました。
ノ・ジェス氏の観術も驚きですが、明治から昭和にかけて生きた折口氏が100年も前にこうした思考方式をあらわしていたことに驚きました。
