世界で8億人のユーザーがいるというフェイスブックの躍進は、今後どのような戦略をとっていくのか多くの人が注目しています。
そんな中で少し前になりますが、情報共有が売りのフェイスブックの今後に一石を投じるコラム(ロイター2011/11/25
)が掲載されました。
最新のフェイスブック・バッシングは今週末、CNETのモリー・ウッドが「フェイスブックは共有を破壊している」と攻撃したことから始まった。彼の論点は簡単に言えば、フェイスブックがコンテンツの質より量を重視しているということだ。
この中で、フェースブックが成功してきた理由の一つは、人とつながる情報共有を促し、ソーシャルネットワークをどのように使うべきかは伝えようとしなかった(ユーザーに任せた)ことだと言っています。
そして、たとえ最初は嫌悪感があっても、ユーザーはじきに個人データを共有するようになると、ザッカーバーグは考えてきた。
確かのそのとおりになってはきたものの、さらに機能を深化させながら受動的な一部分の情報共有では本当のことはわからない。
(自動的に共有される多くの情報には前後の文脈が欠けていて、本当のことはわからないし、そうした情報はオンライン上でいつまでも残り続けるかもしれない)
・・機能を付加させる方向が、(彼ら(開発者)の直感が鈍くなりつつあり)日常とかけ離れ、ユーザーが欲しているものから逸脱しつつあるように見える点を指摘しています。
だから、人々は情報共有を学ぶか、フェイスブックから距離を置くかを選択することになるだろうと。
おそらく会社は岐路に立たされているだろうと締めくくっています。
確かに氾濫する情報の一部分だけをとって判断するしかない状態で前後の情報を追い続ければ、途方もない時間がとられるし、
どこまでプライバシーが侵害されてしまうのかという安心できない状態では、つながっていきたい思いはストップしてしまうかもしれません。
大事なのはSNSやスマートフォンなどで便利に環境的につながることができても、人間の心がどうつながっていったらいいのか、その通信環境(情報共有)を使う人間自身が
根本的に人と人の判断基準の違いを解決できるすべがないと、その共有した情報がもとで傷ついたり、さらに問題を起こしてしまうことは十分考えられます。
影響力のあるフェイスブックが今後どのように舵をとっていくのか、は注目すべきことでもあるし
最も岐路に立たされているのはユーザーが何を選択していくのか、ということではないでしょうか。