山口の母子殺害事件に死刑判決が出ました。
13年間争ってきた原告の本村さんは記者会見で、「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う」と言っていたのが印象的でした。
犯罪を犯してしまったとき初めてその事件(現象)に注目しますが、今回の被告にしても犯罪を犯すようになってしまった背景があるわけで、
13年前の当時、18歳と1か月の少年が、通常であれば高校三年生という年齢で残虐な事件を起こしてしまう(起こせる)には、その人が育った環境を無視できないと思います。
だれも犯罪者になりたくて生まれてきたわけではないと思うし、幸せになりたいと思って生きている
でも、その犯罪者のように一寸も違わずに育てば結果としてそのような人になってしまう、というのが人間ではないでしょうか。
すべての環境が一寸も違わずに育っても、自分はそうはならないと言い切れるのか。と考えたことがあります。
「人は環境によってつくられる」と言われています。
こうした悲しい事件から私たちが学ぶべきことは、結果の現象だけを見るのではなく、それを生み出してしまう環境に対する問題意識が大事だと思います。
もちろん本人も、その子が育った家庭(過程)にも問題があるのは事実で、その親の責任は重大であると思います。
でも突き詰めていけばその親も苦しかった(苦しい思いをして育った)かもしれない、それを取り巻く社会の責任があると言えるのではないでしょうか。
他人に冷たく、相手を蹴落とさないと自分が負け組になってしまうという恐怖心をもちながら生きる、そんな社会で犯罪をなくすことは困難です。
事件が起きたから犯罪を罰するしかないのではなく、問題の根本原因である一人ひとりの「判断基準の問題」にフォーカスしていかなければならないと思います。
こうした年少者が犯罪を犯してしまう事件の背景を思うと、どのように育ちそこに至るまでどれほどの孤独や苦しみがあったのかを思うと、息が詰まるように苦しくなります。
環境は一気には変えられないし、一人では無理ですが、このような苦しみから、どんな環境をつりたいのかを共有していくことの必要性を感じます。