「ハーモニー」を読んで1 | 三澤トレーナー日記・「七人のボルサリーノ」

三澤トレーナー日記・「七人のボルサリーノ」

①ミサワ整骨院&治療②トレーナー③社長業やもろもろの活動④プロレス⑤はまじめに健康指南⑥酔いどれて裸祭り⑦世の中や人生について語る。7人のボルサリーノ三澤が登場する、多重人格日記。毎日お楽しみください!

伊藤計劃「ハーモニー」を読んで。

全てはゆらぎの結果に過ぎない。
ゆらぎとは場当たりの継ぎ接ぎ。
わたしがこの本を手にとり読んだことはゆらぎの結果。
わたしがこんな人間になったということも。
わたしがここに今いるということも。
わたしが生まれたことも。
人間が進化したことも。
生命が誕生したことも。
宇宙が誕生したことも。

人は常に、行動する際に、その場その場の迷いと選択を迫られる。
そして、その選択は人の価値観により違う。
側脳と脳核が生み出すその選択の違いがゆらぎを生む。
ゆらぎが意識の正体。
ゆらぎがわたしの正体。

ゆらぎ、その場しのぎの場当たりが継ぎ接ぎされ、わたしは今、ここにある。

生れて、生きて、食べて、生活して、生命を繋ぐ。
この営みのどこに、ゆらぎが必要だろうか?
個々の主張が必要であろうか?
肉体にとってはそれは邪魔者でしかないのではないだろうか。
ゆらぎは、個々の主張、いわゆる意識は、生命の繋ぎの絶対条件なのか?

意識のない世界がユートピア。
迷いも、選択も、決断も存在しない、迷うことなき恍惚の世界。
天国。

でも、ゆらぎなくして、宇宙は誕生しなかった。
ゆらぎなくして個々の選択はなかった。
ゆらぎが、迷いが、その場の選択が、その場の決断が、もしくはその場の偶然が、わたしを繋いで来た。
だからこそゆらぎはわたしの正体。
ゆらぎがわたしを今ここにいさせてくれる。

人は神に導かれてここにあるのか。
人はゆらぎの結果ここにあるのか。

僕は、ゆらぎの結果、今、この文を書いている、と信じたい。

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