ユンギ

 

22年 6/8

 

 Tシャツをまた脱いだ。

鏡の中に映る俺はどうも俺らしくなかった。

「DREAM」って書いてあるTシャツは全てにおいて俺のタイプではなかった。

赤い色も夢なんていう言葉も、タイトなところも全て気に入らなかった。

いらついて煙草を取り出してライターを探した。

デニムのポケットになかったからカバンの中を探して気づいた。持って行かれた。

何の気兼ねもなく俺の手から奪って行ってしまった。

そうして代わりに投げられた物はロリポップキャンディとこのTシャツだった。

頭を掻き乱しながら席を立った時に、携帯にメールが届いた音が鳴った。

携帯の画面に表示される名前が三文字で、それが見えた瞬間に突然周囲が明るくなって心臓がドキッとして落ち着かなくなった。

メールを確認して煙草を半分に折ってやった。

次の瞬間 鏡に映った俺は笑っていた。 

「DREAM」って書いてある、赤い色の、タイトなTシャツを着て、何が嬉しいのかバカみたいに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

承 p3

20年 6/25

 

 

バンッとドアを開けて入り机の一番下の引き出しに入れておいた封筒を取り出した。

逆さにするとピアノの鍵盤が一つコンと音を立てて落ちた。半分焼けてしまった鍵盤をゴミ箱に投げ捨ててベッドに横になった。

沸き立つ心が落ち着いてはくれなくて、呼吸はめちゃくちゃで指にはいつの間にか黒い煤が付いていた。

葬式が終わって、火事でめちゃくちゃになった家に一人で行ったことがあった。

母さんの部屋に入って、原型を留めていない焼けてしまったピアノが目に入った。

その傍に座り込んだ。

午後の陽射しが窓を越えて近寄って来た 気持ちが収まるまでの間ただそこに座っていた。

最後の光りの中に鍵盤がいくつか転がっているのが見えた。

押したらどんな音が鳴る鍵盤だったのだろうか。母さんの指にその音たちが、どれ程多く届いていたのか考えた。その内の一つをポケットに入れて部屋を出た。

あれから、もう4年という月日が経った。

家の中は静かだった。おかしくなりそうな程に静かだった。

10時を過ぎて父さんは眠りについてるだろうし、その時間以降は全てにおいて息を殺さなければならなかった。

それがこの家の規則だった。

俺はこんな、もの寂しさに耐えることに力を注いだ。

決められた時間に合わせて、規律と体裁を守ることも簡単じゃない。

だけど、それよりももっと耐えられなかったのは、変わらず俺がこの家に住んでいるということだった。父さんから小遣いをもらって、父さんと食事をして、父さんの小言を聞いた。

食ってかかって、ひねくれて、問題を起こして、父さんを捨てて家を出て独りになって、言葉で言うだけじゃなくて本当の自由を手に入れるために行動を起こす勇気が、俺にはなかった。

ベッドからガバッと起き上がった。机の下のゴミ箱から鍵盤を掴み取り上げた。

窓を開けたら夜の空気が部屋を満たすように押し入って来た。

今日一日にあった出来事が、その風に乗ってまるで殴り掛かるように押し寄せて来た。その空気の中に、鍵盤を力の限り投げつけた。

今日で学校に行かなくなってから、10日程過ぎていた。

 

退学処分が下ったという知らせを聞いた。もう俺が望まなくても、この家から追い出される時が来るかも知れない。

耳を傾けてみたけど鍵盤が地面に落ちていく音は聞こえなかった。

どれだけ考えても、あの鍵盤がどんな音を鳴らせていたのか知ることはできないだろう。

どれだけ多くの時間が過ぎて行っても、あの鍵盤が再び音を鳴らすことはないのだから。

俺は二度とピアノを弾くことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

承 L p4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 4/7

 

 

下手なピアノの音に歩みを止めた。

 真夜中のがらりと空いた工事現場には、誰かが置いて行ったドラム缶の中で火だけがパチパチと音をたてていた。

さっき俺が弾いた曲だってことは分かったけど、それが何だったか考えていた。

酔っていたからか、足元がふらついた。眼を閉じて、わざと数歩歩みを進めた。

火が噴き出す熱気が強くなってピアノの音も、夜の空気も、酔いも薄れた。

いきなりの警笛の音に眼を開ければ、車がギリギリのところをかすって通り過ぎて行った。

ヘッドライトの眩しさと車が動いたことで来る風、酔っている混乱の中でどうしようもなくふらついた。

運転手が何か罵っている音が聞こえた。

歩みを止めて、こっちも一発何か暴言を吐いてやろうかとした時、ふとピアノの音が聞こえないことに気づいた。

火花が燃え上がる音、風の音、車が残して行った残音の中で、ピアノの音は明らかに聞こえなかった。

止まったようだった。

なんで止まったのか?

誰がピアノを弾いたのだろうか?

コツンという音と一緒に、ドラム缶の中で火の粉が暗闇の方へ燃え立った。

その姿をしばらくぼーっと見つめていた。

熱気に顔が火照った。

ガンと拳でピアノの鍵盤を殴り打つ音が聞こえてきたのは、まさにその時だった。

反射的に後ろを振り返った。

瞬く間に血がものすごい勢いで巡って、呼吸が不規則になった。

子供の頃の悪夢。

夢の中でよく聞いていた音のようだった。

次の瞬間、俺は走り出していた。

俺の意思ではなく俺の身体が自然と後ろを振り返り、楽器店に向かって走った。

何故か何度も繰り返して来たことのような気分だった。

何だか分からないけど切実なことを忘れていたような気分だった。

窓ガラスが割れている楽器店。

ピアノの前に誰かが座っていた。何年か経っていたけど一目で分かった。

泣いていた。

拳をギュッと握った。

誰かの人生に関わりたくなかった。

誰かの寂しさを慰めたりしたくなかった。

誰かにとって意味のある人になりたくなかった。

その人を守ってあげられるなんていう自信がなかった。

最後まで一緒にいる自信がなかった。

傷つけたくなかった。

傷つけられたくなかった。

俺はゆっくり方向を変えて去ろうとしていた。

元来た道を戻るつもりだったのに、知らずのうちに近寄っていた。そして間違った音を指摘した。

 

ジョングクが顔を上げて俺を見た。

 

「ヒョン」

 

高校を辞めた後、初めて会った瞬間だった。

 

 

 

 

 

承 O p4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16年 9/19

 

 

炎が赤く燃え上がった。

今朝まで僕が住んでいた家が炎に包まれていた。

僕に気づいた人達が走ってきて何か叫んだ。町の人達が、進入路の確保ができない、消防車が入ってこれないと、小走りでやってきた。その場に立ち止まった。

 

夏の終わり、秋の始まりだった。空は青く、空気は乾燥している。何を考えなければならないのか。何を感じなければならないのか。何をしなければならないのか。

何も分からなかった。

「あっ、母さん」と思った瞬間、ドンッと音と共に炎に包まれた家が崩れ落ちた。いや、炎そのものになった家が、屋根が、柱が、壁面が、僕が住んでいた部屋が、まるで砂で建てた家のように素直に崩れ落ちていった。

呆然としてその姿を眺めた。誰かが僕の横を押しのけ過ぎて行った。消防車が入ってこれたのだ。他の誰かが僕を掴まえて問い詰めた。その人は僕の目を見ながら何かを叫んだ。僕は一つも聞こえなかった。

「誰が中にいるんだい?」

僕はぼんやりその人を見つめた。

「お母さんが中にいるのかい?」

その人が僕の肩を掴んで揺さぶった。無意識に答えた。

「いいえ、誰もいません」

「何を言ってるの。」

近所のおばさんは言った。

「お母さんは?お母さんはどこに行ったの?」

誰もいません。僕が何を言っているのか僕自身も分からなかった。誰かが僕をサッと押しのけながら通り過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

19年 6/12

 

 

無計画なまま学校をさぼって出てきたのに行き場が無かった。

暑いし、金もないし、する事も無かった。海に行こうと誘ってきたのはナムジュンだった。弟達はうかれていたが、僕はあまり浮かれはしなかった。

「金はあるのか?」

僕の言葉に、ナムジュンが皆のポケットからお金を出させた。小銭と数枚の紙幣。

「行けないじゃないか。」

「歩いていけばいいじゃん」と言ったのはおそらくテヒョンだったと思う。ナムジュンがどうか少し考えてくれという顔をして見せた。みんな無駄な話をしたり笑ったり道端にゴロゴロと転がる振りをしながら道を歩いた。僕は返事をする気分になれずそのまま後ろについた。熱い真昼の光は、街路樹さえも影を作れなかった。歩道のない道路の上を、車が土ぼこりを飛ばしながら通り過ぎていった。

 

「あそこに行こう」

今回もテヒョンだった。ホソクだったか。興味がなくて良く見なかったけど二人のうちどっちだったか。頭を下げて地面を蹴りながら歩いていたら、僕は誰かにぶつかり転びそうになった。

ジミンがその場所に打ち付けられたように立っていた。何か怖いものを見たかのように顔の筋肉がブルブルと震えていた。

「大丈夫か?」と尋ねたが聞いていないようにみえた。ジミンが見つめている先には「草花樹木園  2.2Km」という標識が立っていた。

「歩きたくないです。」 ジョングクの言葉が聞こえてきた。ジミンの顔から汗がぽたぽたと流れた。今でも崩れ込みそうだった。変な気がした。パクジミンと呼んでも微動だにしなかった。頭をあげて再び標識を見た。

「なあ、暑いのになんで樹木園なんだよ、海まで行ってみよう。」

僕は無関心そうに言った。草花樹木園がどのような所なのかさえ知らないが、行ってはいけないように感じた。理由は分からないが、ジミンの様子がおかしかった。

「お金がたりないって言うから」

僕の言葉にホソクが返事をした。テヒョンが「汽車駅まで歩いていけば何とかなる」と言った。 「その代わり夕食は抜きにする」とナムジュンが言った。

ジョングクとテヒョンが泣きだし、ソクジンヒョンが笑った。ジミンがまた歩き始めたのは、みんなが汽車駅へ向かう道に入った所だった。頭を下げ肩をすくめて歩くジミンはとても小さい子供にみえた。

僕はまた標識を見上げた。草花木樹園の五文字が徐々に離れていった。

 

22年 6/15

 

 

頭の中を鳴り響かす音楽以外は何も認められなかった。

どれ程酒を飲んだのか、ここが何処なのか、何をしていた所なのか知りたくても重要ではなかった。よろめきながら外に出ると夜だった。そのまま流されて歩いた。通行人なのか街頭販売台か壁か、無造作にぶつかったが関係なかった。全て忘れてしまいたかった。

ジミンの声がまだ響くようだった。「ヒョン、 ジョングクが。」次の記憶は、狂ったように病院の階段を登っていたものだった。病院の廊下は異常な程に長く暗かった。患者服を着た人達が通り過ぎていった。心臓が激しく響いた。人々の顔が青白く表情も無かった。みんな死んだ人のようだった。頭の中で僕の呼吸音が激しく揺れた。少し開いた病室のドア越しに、ジョングクが横たわっていた。思わず顔を逸らした。見られなかった。その瞬間、突然ピアノの音と炎が、建物が崩れ落ちてくる音が聞こえてきた。頭を包み隠し座り込んだ。お前のせいだ、お前がいなければと言う母の声。 いや僕の声、いや誰かの声。その言葉に出来ない時間を苦しんでいたと信じてくれ。ところがジョングクがあそこに横たわっていた。死人のような顔をした患者達が行き来する廊下にジョングクが横たわっていた。とても入ることが出来なかった。確認ができなかった。立ち上がったら足がふらついた。病院から出ると涙が出た。

おかしな事だ。最後に泣いたのがいつだったか思い出せなかった。横断歩道を渡ろうとした時、誰かが腕を掴んでつまづいたため、風がサッと転じた。誰?いや、関係ない誰でも同じだった。側に来ないでそのまま放っておいてくれ。傷つけたくない。傷つきたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 4/11

 

 

僕はジョングクが僕の後ろをついてくるのを感じながらずっと歩き続けた。コンテナから出て列車の軌道に到達したんだと気づいた。それは後ろから四番目のコンテナだった。

ホソクはナムジュンとテヒョンに会う約束をしていると。彼は僕に一緒に会いに行きましょうと言った。

僕は行きたいと言ったが実際に会おうと言う考えはなかった。僕は他の人と関わる事が嫌だったしホソクはそれを知っていたからこそ彼は恐らく僕の言葉に真実を期待していなかっただと思う。

僕が扉を開けた時ホソクは驚き僕を見つめた。僕の後ろにいたジョングクを見て、混ざりあった感情の誇張された表情が顔をいっぱいに描いていた。僕は二人を押し通してコンテナに立ち寄った。

「どれだけ長い期間だったの?」

ホソクが恥ずかしがり屋であるジョングクを引っ張って来る音が聞こえた。ナムジュンとテヒョンも入ってきた。テヒョンのシャツの一部が破れていた。それについて質問しようと思ったらナムジュンは首を降った。

「彼は落書きをしている時警官の中に巻き込まれ、僕は彼を迎えに行かなければならなかったので遅れた」

テヒョンはメロドラマ的な雰囲気を出しながら謝罪し、彼のシャツが逃げた過程で破れたと説明した。僕は隅に座り彼らを見た。ナムジュンはテヒョンに新しいシャツを渡し、ホソクはハンバーガーと飲み物を取り出していた。全ての中心でジョングクが不自然に立っていた。彼は何をするべきなのか分からないように立っていた。振り返って見ると、彼が高校でどのような行動をしているか正確に分かった。実際に周辺を眺めると何をするべきなのか分からなかった時ホソクの声を張り上げる音で動いた。

 

僕たちが出会ってどれくらいになるだろうか?僕は覚えていない。ソクジンヒョンとジミンはどうしたのだろうか?特有の考えが僕の心を通り過ぎていった。これは僕が初めて訪れた場所であり、僕の心はどこかで失われていた。

 

 

 

22年 5/2

 

 

シーツは一瞬にして炎に包まれた。物事の積み重ねは強烈な熱の中で真実を失った。僕は腐ったカビの臭いを嗅ぐことも、湿っぽい温度を感じることも、暗い光さえも見ることが出来なかった。唯一残ったのは痛みだけだった。炎の苦痛、指の痛み。父親の感情のない表情と音楽の音がやわらぐのは火の中だけだった。

僕は父親とは全くと言っていい程に違う。父は僕を理解する事は出来ず、僕は父を理解する事は出来なかった。試みていたら彼の心は変わっていただろうか?多分そうではない。僕が父の為に出来ることは逃げて隠れるだけだった。僕が逃げているのが父親ではないと言うのか時々起こった。だったらそれが彼では無かったらそれはなんなんだ?

恐怖がしばらく沈んだ。僕は何から逃げているのか?僕が自由になる為には、何を終わらせなければいけないんですか?だがそれは不可能だと感じた。僕は誰かの声を聞く事が出来るように感じたが、僕は舞い踊る炎から目が離せなかった。僕は息をすることが出来なかった。僕はそれが煙なのか痛みなのか分からなかった。

もう動く体力はなかった。それなのにも関わらず呼んでいるのがジョングクだと知っていた。彼は動揺して怒っていたに違いない。僕は全てを終わらせる為に煙や熱を望んだ。ジョングクはもう一度何かを叫んだが、僕はそれを聞くことは出来なかった。僕の視線は落ちた。僕がもう一度見上げると、汚れた世界で汚れた部屋の光景が見えた。

最後の瞬間になるものだと思っていた間、僕は赤い光、絶対に留まることのない煙、そしてジョングクの恐怖の表情が見えた。