ホソク

22年 5/31 

 

 

 いきなり息苦しくなったもんだから反射的に視線を逸らした。しばらくダンスを踊った後、呼吸が乱れたけどそんな理由じゃなかった。

母さんに似てると思った。

いや、その考えは浮かんだとか認識したっていう状態じゃなくて、説明したり描写することのどれとも違ったんだ。

すでに10年以上の付き合いである友達の顔を、まっすぐ見つめることができなかった。

一緒にダンスを習って、一緒に失敗して挫折を経験して、一緒に頑張って来た。

汗だくになって床に寝転がったりしてタオルを投げ合ってふざけたりした。

これまで一度も感じたことのなかった感覚に触れたような気分で、落ち着かなくなった。僕はそそくさと席から立った。

角を曲がってすぐに壁にもたれて立った。

乱れて収まらない呼吸を整えようとしたけど、「どこ行くの、ホソク」という音が聞こえた。

声だ。

もしかすると声かもしれないという考えがよぎった。

「ホソク」と呼ぶ声。

もう今ではよく思い出せない、僕が7歳だった時に遡る声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p7

 

 

 

 

ホソク

20年 9/15

 

 

ジミンのお母さんが救急室を横切って入って来た。

ベッドの頭の部分にある名前とリンゲル液を確認してジミンの肩らへんに付いた葉を指で取り払った。

僕は、ジミンが何故救急室に運ばれて来たのか、バス停留所で発作を起こした経緯について話をしなければならないようで、うろたえながら近寄った。

ジミンのお母さんは、その時になって初めて僕がいることに気づいて、何かを見定めるような視線でしばらく見つめた。

僕はどうして良いか分からず落ち着かなかった。

ジミンのお母さんはありがとうと一言だけ言ってそのまま背を向けた。

ジミンのお母さんが再び僕に向かって来ていたのは、医者と看護師たちがベッドを移し始めて僕が付いて行こうとした時だった。

ジミンのお母さんはもう一度ありがとうと言いながら肩を押した。

押したというよりは、ほんの少しだけ手を当てて剥がしたという表現が正しいだろう。

だけどいきなり僕とジミンのお母さんの間に目に見えない線が引かれたように感じた。その線は確実に存在して、とても丈夫だった。冷たくて堅かった。

僕は決して超えることのできない線だった。

 

孤児院で10年以上に渡って生活した。それくらいは身体で、視線で、空気で理解できた。

うっかり後ずさりしたら床にのけぞって倒れてしまった。そんな僕の姿をジミンのお母さんは、まじまじと見下ろしていた。華奢で美しい人だったけど、陰は大きくてひやりとしていた。

そんな陰が救急室の床にのけぞって倒れてしまった僕の上にかかった。

顔を上げてみたらジミンのベッドは救急室の外に出て見えなかった。

その日を境にジミンは学校に戻って来ることはなかった。

 

 

 

 

 

承 L p8

 

 

 

ホソク

21年 2/25

 

 

鏡の中に映る自分の姿から目を離さずにダンスを踊った。

そこに映る自分は脚が地面についていなくても、ほとばしるエネルギーがあって世界の全ての視線と評価などの物差しから解かれていた。

音楽に合わせて身体を動かすこと、心を込めること以外には何も重要ではなかった。

 

初めてダンスを踊ったのは12歳の頃だった。

たしかキャンプの時に、特技自慢をする時間だったはずだ。

学校の友達たちに引っ張られて舞台に上がった。

その日の出来事の中で今まで鮮明に覚えているのは拍手と歓声、そして初めて僕が自分になれたような気分だったことだ。

もちろん、その時にはただ音楽に合わせて身体を動かしながら踊ることが楽しいと感じる程度だった。

それがとても嬉しくて、その喜びが拍手を貰ったからという訳ではなく、僕の内側から湧き上がって来るものだということが分かったのはしばらく後のことだった。

鏡の外の僕は、多くのことを殺していた。

足が地面から離れたらほんの少しの間でも耐えられず、嫌でも笑って悲しくても笑っていた。

必要もない薬を飲みながら、色んなところで倒れたりした。

だから僕はダンスを踊っている時ならば、鏡に映る自分から目を逸らさないようにした。

落ち着いて僕が自分自身になれる瞬間。

全ての重い荷物を捨てて飛び立てる瞬間、幸せになれると信じる気持ちを持てるようになる瞬間。

その瞬間を僕は見届けるんだ。

 

 

承 O p8

 

 

 

 

 

 

 

ホソク

22年 5/20

 

 

テヒョンを連れて警察署を出た。

お疲れ様ですと力強く言われたがそんな気分では無かったし、警察署からテヒョンの家まではそれ程離れてはいない。もし、遠い所に住んでいたらテヒョンは何度も警察署に出入りしなくて良かっただろうか。何故、テヒョンの両親はこんなに警察署の近くに住んでいるのか。こんなにも馬鹿みたいに優しくて弱いやつに、世の中は本当に不公平だと思った。

テヒョンの肩に腕を回してお腹空いたか?と何でもないように尋ねた。テヒョンは首を振った。警察署のお兄さん達がご飯でも買ってくれたのか?また聞いたがテヒョンは何の返事もしなかった。日の光の中を二人で歩いた。心の中で冷たい風が吹いた。僕の心がこうならテヒョンはどんな気持ちだろうか。心がどんなに沢山引き裂かれて壊れたのだろうか。果たして心が残っているか、心の中にどれほど多くの苦しみがあるのか。そんな考えをしていたから、顔をまともに見る事が出来ない代わりに空を見上げた。曇った日差しの中で飛行機が一機過ぎていった。

 

テヒョンの背中の傷を初めて見たのは、ナムジュンのコンテナで会った時だった。Tシャツを貰ったと無邪気に笑うテヒョンの顔に向かって誰も口を開く事は出来なかったが、心が重く崩れた。

僕には両親がいなかった。お父さんの記憶は少しも残っていなくて、お母さんの記憶も7歳の時までしか残っていなかった。家族と子供の頃についた傷なら、誰と比較しても羨ましくなかった。人は言う。傷を克服しなければならない、受け入れて和解し許さなければならない。そうしてこそ生きる事ができると。知らない訳ではない、嫌で拒否するものではない。いくつかの事をしようとすると達成されない。誰も方法を教えてくれる人はいなかった。世の中は鈍くなる前に新しい傷を与えた。世の中に傷のない人はいないという事は知っているし、ここまで深い傷が一体なぜ必要なのか。何のために必要なのか。なぜ、このような事が出来るのだろうか。

「大丈夫です。一人で行けます。」

分かれ道でテヒョンが言った。

「わかってるよ。」

僕は気にせず先頭を歩いた。

「本当に大丈夫ですからね。見てください。何ともありません。」

テヒョンが笑ってみせた。僕は答えなかった。いいはずがなかった。あまりにも大丈夫じゃないのに認めなければ耐える事が出来ないから無視をする。それが癖になっていた。テヒョンがフードを被りながらついてきた。

「本当にお腹空いてないのか?」

テヒョンの家に繋がる廊下にきた時尋ねたら、テヒョンは明るい笑みを浮かべて僕を見ながら首を振った。廊下を歩く後ろ姿を見て振り返った。テヒョンが歩いた廊下も僕が帰っていく道も狭くて荒れ果ていた。僕も一人だった。ふと後ろを振り返って見ると電話が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホソク

22年 7/4

 

 

彼女が応急処置を受けている間、僕は廊下に立っていた。

夜にも関わらず病院の廊下は人々で混雑していた。汗と雨で濡れた髪の毛から水分が滴り落ちた。

僕は彼女のバックを落としてしまった。色んな物が散らばった。何枚かの小銭が転がって、ボールペンやタオル。その真ん中には飛行機の電子チケットだった。僕はそれを拾って、バーコードを読み込もうとした。その瞬間、医者から電話があった。医者は軽度の脳しんとうだから心配する事はないと言った。そして、暫くしてから彼女が出てきた。

「大丈夫ですか?」

彼女は頭が少し痛むだけだからと僕からカバン持っていった。それから、彼女は電子チケットを見つけ、僕の顔を見上げた。僕はバックを反対の肩に移して、何も無いふりをする必要があると思った。病院を出たら今までと変わらない激しい雨が降っていた。僕達はドアの外に並んで立った。

「ホソガ」 と彼女は言った。彼女は何かを言いたい事があるように思えた。

「ちょっと待ってて、傘買ってきますから。」

僕は雨の中を思い切って走った。遠くにはコンビニが見えた。僕は以前、彼女が海外のダンスチームのオーディションを受けていた事を知っていた。飛行機のチケットは彼女が受かった事を意味した。

僕は彼女の話を聞きたくはなかった。彼女を祝福する自信がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホソク

22年 3/2

 

 

僕は人々の中にいるのが好きだった。保育園から出て孤立すれば、ファーストフード店でアルバイトを始めたが、多くの人を相手にして常に笑わなければならないし、元気いっぱいでなければならなかった。その事は僕には良かった。実際、僕の人生は笑うことも、活気に満ちたことも無かった。いい人より悪い人を見てきたのは明らかだった。もしかしたら、それで余計に良かったのかも知れない。無理にでも明るく笑って大きな声で話して愉快に対応していたら本当に僕がそんな気持ちであるかのように錯覚がした。大きく笑って気分が良くなり親切に接したら親切な人になった。

厳しい日もあったりした。店を片付けて家に帰る時は一歩踏み出す事さえも難しかった。迷惑な客がいつもより多い日もあった。それでも皆がいる時は、そのような事を耐えるのが今よりは少し楽だった。

時々、店をいっぱいに埋め尽くすお客様を見ながら皆のことを考えた。何も言わずに転校したソクジンヒョン。ある日の朝消えたナムジュニヒョン。退学になった後、連絡が取れなくなったユンギヒョン。どこでどのような事件を起こしているのか分からないテヒョン。そして、救急室から見た姿を最後に学校に戻ってこなかったジミン。ジョングクは先日までは制服を着て下校する姿を窓越しに何度も見たが、なぜだか店には立ち寄る事は無かった。あの頃は過ぎ去ってしまったのかと考えた。お客様が入ってきた音に、僕は大きく歓迎の挨拶をした。そのようにして、元気な作り笑いをしドアの方を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホソク

22年 5/12 

 

 

非常口のドアを開け、階段を駆け下りていった。心臓が今にも張り裂けそうなくらい走った。病院の廊下ですれ違った顔は明らかに母さんだった。振り返った瞬間、エレベーターのドアが開き、必死に人を押しのけて進んだ。必死に人を押しのけて進んだのに母さんが非常口に入って行く姿が見えた。焦る気持ちで階段を2段飛びしながら降りた。休まず、いくつかの階を降りた。

「母さん!」

母さんが止まった。僕は一歩踏み出した。母さんが振り返った。僕も階段をまた一つ降りた。母さんの顔が見えた。その時だった。かかとが階段の角で滑り、重心が前に傾いた。これから倒れるとい思い目をギュッと閉じた。誰かが僕の腕を掴んだ。そのおかげでかろうじて重心を掴むことが出来た。振り返ると、驚いた顔をしたジミンが立っていた。ありがとうと言う暇もなく再び振りかえると一人の女性が見えた。驚いた顔をしていた。横に小さな男の子が大きな目で僕を見つめた。母さんじゃなかった。僕は女性の顔をじっと眺めながら何も言わずに階段の上に立っていた。どのような言葉でその場を切り抜けたのか思い出せなかった。ジミンがどのようにその場に現れたのかさえも問わなかった。細かい事を気にして問うのは余りにも頭の中が複雑すぎた。女性は母さんではなかった。もしかしたら、僕はその事実を最初から知っていたのかも知れない。遊園地に一人で残された日から10年を越える時間が過ぎた。母さんも年齢を重ね、僕の記憶とは異なるだろう。僕は母さんと会うことができても、母さんだと気づかないだろう。いや、僕はもう母さんの顔をほとんど覚えていなかった。

後ろを振り返った。ジミンは何も喋ることのないまま付いてきた。高校時代、応急室で別れた後、ジミンはずっとここの病院で過ごした。出て行きたくないか?と尋ねられた時に、どうしなければならないかと悩んでいた姿を思い出した。ジミンも僕のように自分自身を縛り付ける記憶に囚われたまま、どうする事も出来ずに閉じ込められているのでは無いだろうか?

僕はジミンに向かって一歩近づいた。「ジミナ、ここから出よう」

 

 

 

 

 

 

 

 

ホソク

22年 8/13

 

 

練習室の真ん中でジミンとその子が立っていた。準備動作をして待っている5秒間の静寂が限りなく長く感じた。スピーカーから音楽が流れ出ると、二人は最初の動作を始めた。少し前まで僕がその子と一緒に練習した振り付けだった。僕は練習室の床に座り、その姿を見守った。

足首のせいでしばらく踊る事が出来ないという事を知った時、本当に苦しかった。僕ではなく、他の人がダンスを踊っている姿をただ見ることは凄く息苦しかった。しかし、ジミンの練習を手伝いながら、またその結果としてジミンが成長するのか見つめながら気づいた。僕が直接にダンスを踊って見せることができないというのが大きな問題ではないという事を。何とかダンスを続けている限り、僕は幸せになる事が出来るという事を。

ジミンとダンスの練習をする時、僕は小さなミスさえも許せなかった。ジミンは微妙なタイミングを逃すか、または期待以上に動作が小さかったりした。僕はその度に音楽を止めて、動作を一つ一つチェックした。ところが、一種の観客席である練習室の床に座って集中して見ていると、ジミンの踊りが違うように一つ一つの動作よりも、もっと大きなものが見えた。一緒に練習する時はミスだと思っていたものが異なって見えた。細かなミスと未熟さがかえって独特なアクセントを作り出した。確かに僕とは違うけど、ジミンには自分だけのタイミングと自分だけの表現があった。ジミンは存在そのものが輝いて心を動かすダンスを踊っていた。

音楽が終わった。ジミンの踊りも終わった。ジミンの顔が興奮と喜びで輝くのが見えた。その横にその子も立っていた。もう数日後には海外に行ってしまうのだろうか。ふと目が合った。僕が親指を立てて見せると、その子は大きく笑った。変なことだった。母さんと一つも似た所が無いのに、母さんの顔をよく覚えていないのにも関わらず、なぜ似ていると思ったのか、ふと心の中のどこかが痛くなった。まだ治っていない足首がズキズキした。