2月26日(日曜日)、「ガメラ大怪獣空中決戦」 上映会&トークショーサイン会に参加しました。⬇チケットはソールドアウトで、追加の補助席のチケットもソールドアウトだったので行く前は不安でしたが、会場に行ってみたら席はあるので特に問題はありませんでした。

今回の「ガメラ大怪獣空中決戦」の上映会⬇はN県以外に関東、北陸、名古屋、大阪などからお客さんが来ていたそうです。(キャリーケース持っている人がいました)それだけ真剣で、熱いお客さんが集まっているせいか、イベント時には作品へのリスペクト、ゲストの金子修介監督へのリスペクトが凄かったです。

(平成ガメラシリーズの前売りの半券⬇)、、、しかし、1995年春休み時期に公開された「ガメラ大怪獣空中決戦」のN市での上映はインディー映画並みの酷い扱いでした。N市は万代シネモールという映画館で上映されたのですが、午前中1回のみの上映だったのです!!平日の夜見ることは不可能でした。平成ガメラを好きって人はたくさんいますが、当時、N市に住んでいて「ガメラ大怪獣空中決戦」を映画館で観た人は少ないのではないでしょうか。

上映会終了後、トークショーがありました。金子修介監督⬇は、、、、、、(陸上自衛隊は、映画で何をやってもオッケーだったけど、航空自衛隊は映画の中で戦闘機が落ちるのを嫌がったので、「平成ガメラ・シリーズ」では戦闘機は落ちていない)とか(ペリットの中に眼鏡を入れたのは、当日現場で思いついた)とか(アナウンサーが怪獣の名前を「、、、と呼称します」という台詞の「呼称」という言葉を使うのを反対されたが、映画で使うのを推した)とか(爆風スランプのエンディング曲は、候補曲の2曲がどちらも出来がよかったので、2曲を1曲にした)といったエピソードをお話してくれました。

家に帰ってから「平成ガメラコンプリーション」を読み返したら中山忍さんがインタビューで「当時は自分の演技に自信がなかった」とお話をされていて映画の中の長峰真弓の(自分が経験したことのない状況に対処していく不安な気持ち)とリンクしていたのかな、、、と思ったり、藤谷文子さんは当時は素人で、芝居が全くできなかったそうなので、「G1」の草薙浅黄のイノセンスに感じられる話し方は、実は棒読みで、〈不思議ちゃん〉に見えるのも芝居ではなく、よくわからないでやっているからのでしょうが、それがハマったのかなと。藤谷文子さんに関しては金子修介監督⬇は完成図が見えてのキャスティングなのでしょうが。
