石田信之さんトークライブ&サイン会 | ブログやめようぜ

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12月9日(日)に新潟市巻町のはしもと玩具で石田信之さんと、かたおか徹治さんのトークライブ&サイン会があったので参加しました。⬇(午前中は娘のピアノの発表会があって、それも参加できてよかったです)

 
ます、午後1時半からトークライブがありました。会場は畳8畳くらいのスペースで、お客さんは20~30人くらいだったでしょうか。私の席は1列目で石田さんとの距離は数十センチだったので緊張しました!、、、トークライブで石田さんは「ミラーマン」に出演したきっかけを聞かれて「柴俊夫さんが主演に決まっていたのですが、大塚薬品のキャスティング・プロデューサーがスタッフが忘れていった(石田さんの)プロフィールを見て、(石田さんを)気に入って出演することになりました」とこたえられました。⬇

 
かたおか徹治さんはミラーマンのコミカライズをやることになったきっかけを聞かれて、、、「小学舘の小学3年生でミラーマンのコミカライズを描いていた人が隠れた(いなくなって)ので、代筆で小学3年生の8月号を急遽描くことになって、打ち合わせなどで1週間で仕上げました。8月号は前編だったので、9月号で後編を描いて、それ以降レギュラーになりました」とこたえられました。⬇

 
ミラーマンの放送当時、テレビのオンエアを見ていたのでしょうか?と聞かれて石田さんは「第1話だけ撮影所のテレビを見ましたが、それ以外は1回も見ていません。内容なども覚えていません」とこたえられました。ミラーマンの撮影時の失敗談を聞かれて石田さんは「失敗談ではないですが、美センにクーラーがなくて室内は(照明のせいで)サウナ以上に暑くて、スタッフが水をトタン屋根にまいて涼しくしようとしているのを見て、なんて原始的なことをやっているのだろうと思いました」とこたえられました。石田さんはミラーマンの第1話の撮影の時に本多猪四郎監督に「石田君、鏡京太郎は自分自身をやってほしい(芝居をするなという意味?)」と言われたそうです。石田さんは「鏡京太郎は石田信之だったのでしょう」とお話されていました。⬇

 
印象に残っているミラーマンの監督を聞かれて石田さんは「東條昭平監督!想像できないようなキテレツな顔でトドと呼ばれていました」とこたえられました。トドと命名したのは安田秀彦役の杉山はじめさんだったそうです、、、ってこの話、撮影現場が仲良かったって話ですよね?「SGMのメンバーの思い出」という質問に石田さんは「村上チーフ役の和崎俊哉さんは、ホテルニューオータニでライオンズクラブのイベントがあって車に乗せてもらったのですが、話に夢中になって赤信号でも車を走らせるようなおっちょこちょいの人。藤本武役の工藤堅太郎さんはとにかくカッコマン(カッコいいという意味)、夕陽と拳銃という番組に出演していてカッコよかったです。みたらい博士役の宇佐見淳也さんは、あのまま(役のまま)でチームを統率していました」とこたえられました。

 
トークライブ終了後、午後2時半からサイン会がありました。石田信之さんと、かたおか徹二さんにサインしていただいたWサイン色紙です。⬇


ミラーマンの放送当時、薬局で配布していたハイアースのミラーマンお面。⬇
 
、、、に石田さんにサインしていただきました。⬇(1点ものの証にお面サインはインスックスで撮影しています)
 
今年の2月に始まったお面にサインというわけのわからない趣味ですが、、、わずか10ヶ月でサイン入りお面のコレクションは8個になりました!


鏡京太郎対ゴールドサタン(人間を仮死状態にしてその体内に入り込む)の絵柄の5円引きブロマイドに、、、。⬇
 
サインしていただきました。⬇
 
ミラーマンとアイアン(鋼鉄のような皮膚はあらゆる攻撃をはねかえす)の5円引きブロマイドに、、、。⬇
 
サインしていただきました。⬇ミラーマンがピンチの絵柄ですけど、、、。



 
石田さんに円谷プロ特撮大鑑にサインしていただきました、、、。⬇

この写真です。⬇この本は昔読みまくった思い出の本です。当時はまだ映像ソフトも持っていなかったので、、、特撮のムックを読みまくりの時代でした。何も持っていないあの時代が一番楽しかったかもしれません。

 
、、、つづく。