第7章

 

教習指導員試験は、学科は、 道路交通法、関係法令、安全 運転知識、教育知識、教則、 構造の6科目で行われ、試験 は、東京都の場合、教則のみ 正誤式で、他の科目は論文式 で行われる。 教則は、運転免許を取る時に 行われる学科試験を難しくし た問題で、正誤式(×)で 回答する。 教則以外の科目は、論文で回 答する。 この論文式が大変で有る。 問題用紙と白紙の回答用紙が 渡される。 例えば、道路交通法の試験で 問題用紙の一問目が、「道路 交通法第一条を記せ」と書か れていたら、その答えを何も 見ずに白紙の回答用紙に記入 しなければならない。教科書 通りに書かなくても良いが、 要点がきちんと書いてないと 不正解とみなされる。 これが論文試験で有る。 面接試験は、試験官の前に座 り試験官の問いに答える。何 を質問されるか分からないの で総合的に理解していなけれ ば答えられない。例えば「フ ェード現象とはなんですか? 」と言われたらその答えを何 も見ずに答えなければならな い。 実技試験は、所内試験と路上 試験が有り、試験コースは試 験当日に伝えられ、ここで教 習指導員としてふさわしい運 転かどうか試される。 合格した科目は、次回受験時 には免除されるが、期間が一 年間で、一年を過ぎるとまた 最初から全部の科目を受験す る事になる。年に数回しか試 験は実施されないので、2回 、最悪でも3回で合格しない と、会社に居づらくなるのが 現状で有る。 達也の挑戦が始まる。 8月1日に入社した達也は、 事前教養が直ぐ始まった。 事前教養は、空いている教室 で学科を勉強したり、教習所 のコース、路上コースで技能 を練習する。 達也は、見る物、聞く事、全 てが初めての事ばかりで、期 待と不安で胸がいっぱいで有 った。 生活も今迄の生活とは180 度変わり、朝は、出勤時間よ り1時間早く会社に出勤し、 事前教養が始まる時間までの 間、強制では無く自主的に毎 日勉強に励んでいた。勉強は 、主に論文を書き、書きなが ら少しずつ文章を覚えていっ た。 休憩時間や昼食時間も本に目 を通し、自宅に帰宅すると夕 食とお風呂を早々に済ませる と、テレビも観ずに勉強に専念 する日々が続いていた。 でも達也は内心焦っていた。 9月の教習指導員養成講習や 10月の教習指導員試験まで 、時間が余り無いのに加え、 今迄タクシー運転手で、ろく に字も書いていなかったせい か分からないが、書いた文章 がなかなか覚えられず、苦悩 の日々を送っていたからで有 る。 焦りといらだちの中、達也は 必死で勉強していた。 「今迄生きてきて、こんなに 勉強した事が有っただろうか ?」と思う程、勉強に明け暮 れて居た。 時には、自分には無理だと落 ち込む日も有ったが「自分で 決めた道ではないか!ここで 弱気になってどうする!」と 頭を切り替え、勇気を奮い立 たせた。 また先輩指導員の方からは「 今迄うちの教習所で試験に一 発で合格した人は一人も居な いんだよ。所長は一発で試験 に合格しろと言われているみ たいだけど、そんな事は気に しないで頑張ってね。あと講 習に行った時、一年前からと か、半年前から勉強している 人が居ると思うけど、長い期 間勉強したから合格する訳じ ゃ無いから、決して弱気にな っちゃダメだよ」と励まして くれた。 辛い日々を送っていた達也は 、先輩の励ましの言葉が嬉し かったと共に、さらにやる気 が出て来た。 いつしか達也の右手の薬指に 、ペンダコができていた。 この時点での達也は、自分が いかに恵まれた環境に居たか 知る由も無かった。 これは後になって分かる事だ が、昔埼玉県で指導員をして いた人が居て、その人の話に よると、埼玉県では、指導員 見習いは、送迎バスの運転や 事務、雑用全般を、めいっぱ いやりながら勉強しなければ いけない立場で、教習指導員 になるのも、早くても半年か ら一年は掛かる事を聞く事に なる。その点達也は、勉強に 専念する時間を貰って居たの で、恵まれた環境に置かれて いた事は他でも無い。 今の達也は、自分が恵まれた 環境に有るとはつゆ知らず、 時は8月下旬に入り、事前教 養も無事終了した達也は、と うとう指導員養成講習が始ま る日が近づいていた。 講習は、9月1日から始まり 講習会場は、東京の新宿に有 る、東京都指定自動車教習所 協会で行われる。講習は14 日間で土日は休みなので、3 週間新宿まで通う事になる。 不安を抱えながらも達也は、 全力で頑張っていた。

 

第8章へ つづく