夏の武士道公演(8/19~22)で佐々木小次郎を演じることが決まり
決戦の地、巌流島へ行ってきました!!
巌流島の場所は
山口県下関市大字彦島字船島
本州と九州を分ける関門海峡の西側にある小さな無人島
正式名称は船島(ふなしま)
「巌流島」と付けられたのは、敗れた佐々木小次郎が
巌流を名乗ったことからだそうだ
島は海峡を通る大型貨物船の邪魔にならないように整備され
埋め立てによって原型の6倍の大きさになっている模様
また、1/3ほどは市の公園であるが
それ以外は民間企業の所有地となっている。
島へは下関(本州)と門司(九州)から船の定期便が出ている。
私は空路で羽田から山口宇部空港へ降り
鉄道で下関に行き、バスで船着場へ到着した。
10数年ぶりに飛行機に乗りドキドキだったw
船で島へ着く
小舟で弟子に漕がせてこがせ島に渡るイメージをもって上陸!!
島には誰もいなかった…
ただの静かな平の島
あるのは波音と潮の匂い
400年前の1612年5月13日(慶長17年4月13日)
この場所で伝説の剣豪たちが一騎打ちをしたと言われる
言い伝えはいろいろあるそうだが
有名な話では
小次郎の物干しざおの長さに対抗するため
武蔵は舟をこぐ櫂をもって戦い
遅れてきた武蔵にイライラしていた小次郎は
櫂に頭をぶっ叩かれて気絶したとか…
小次郎はかなりの高齢で武蔵は若かったとか…
この決闘の起こりは
武蔵が仕官を求め放浪しているときに
小倉藩細川家の兵法指南役に天下一の剣豪がいると聞きつけた
ときだったと言われてます。
それが佐々木小次郎
そこで武蔵はその小次郎を倒せば自分が
小倉藩に仕官できると考え、藩に願い出る。
それから決闘承認の知らせが届き、場所が巌流島に決まる。
なぜ城ではなく海にぽつりと浮かぶ小さな島が選ばれたかは
武蔵が関ヶ原の戦いの際三成側についていたため
反逆者を仕官することが知られれば幕府からお咎めを受ける
ということを恐れたためと言われている。
→多分武蔵は小次郎に敗れるだろうと思われて決闘を承認し
この場所にされたのではなかろうか。
小次郎自身も果し合いを申し込まれて受けないわけにいかないし。
結果、武蔵が勝ったが、その後小倉藩からの仕官の報せは
届かなかったようだ。
戦いの背景はごく個人的なものだったんですね。
まあ、人ってそんなものでしょうがw
ですが、武士道公演~夏の陣は
小次郎と武蔵だけでなく
幕府や剣術道場やら伊賀忍やらにさまざまな思惑が入り混じって
ドラマチックに描きますよ
ご期待下さい!!
デハ!!