正月休みが終わりましたが、
同窓会の興奮が冷めない毎日になってます
幹事をやった人間としては、
参加者がどんな印象を持ったか気になるところで
間違えば嫌われ者のもなりうるようなイベントではありますが
2次会参加者が予定では1次会より約半数減る見込みで
実際には、ほとんどの人がやっぱり残りたい(遠方の方は残念ながら)
となり、皆がめいっぱい再会を喜び合えた時間になったんだと思います
27年ぶりということで、記憶もだいぶ薄れてるだろうし
不安を持っていた人が多かったと思います
しかし、いざ旧友と会ってみて、
更に先生の変わらない熱血ぶりを見れば
当時の記憶がふつふつと甦ってきて
心がみるみる12才に舞い戻ってしまったんだと思います
こんな体験は初めてでしょうから、
まさに奇跡の同窓会というべきものになったんだと思います。
正直、小学校の同窓会が開かれることは
1年前までは夢にも思ってませんでした。
もともとごく小さな特徴の無い小学校ですし、
中学では、1つの大きな小学校に吸収される感じで構成されてたし
中学は文武共に様々な実績を残していきましたから
小学校に対する思い入れというものは
皆それほど持っていないのではないかと思いこんでいました
私自身も小学生時代は、成し遂げたものはない何もない
何の変哲もない児童でしたから、
自分の出る幕はないと思っていました。
私は大学進学から故郷を離れ、
そのまま東京での暮らしをしています。
実家の両親は市内の別の場所に引っ越しました
帰省したときは、たまに地元の風景をみに行きます
人が外をで歩いていない事が一番印象に残ります
近所の友達はどこでなにをしているのだろうと思います
でも特にこれといったことはなく、思うだけで日々が過ぎてきいます
数年前ミヤネさんの番組で
Facebookについてやっていた会がありました
登録すると、友達を見つけられると
これ便利だなと登録。最初はなかなかいませんでしたが
時が経つごとに、友達の友達繋がりで、知り合いが増えて行きました。
そしてちょうど1年前、同級生が子供と懐かしい風景を
散策したとのアップ写真をきっかけに
懐かし話で盛り上がり、同窓会の話が持ち上がりました。
これが奇跡のはじまり
話で盛り上がった人間がたまたま東京近郊に集まっていたため
即、会議を開く事ができました
この急展開について、最初はほんとに人を集められるのかなと
個人的には不安を抱いていましたが、
集まった同級生たち、実に20年以来であるのと
現在立派に働いていることを確認できたこと
故郷は平凡だけど、学区が狭い分、人が親密であること
友達の兄弟、両親など顔がすぐに思い浮かぶのがいいところなんだと
そして、今でも同級生たちと連絡を取り合っていることを聞いて
今こそやるべきだなと心に決めました
準備は1年近くかけてゆっくり綿密にという方針で行いました
段階を経て何回か会議を行いました
ここでまた、奇跡の絆が生まれたと思います
それぞれ小学校まで一緒、中学まで一緒、高校まで一緒
連絡を取り合っていたり、20数年ぶりだったり様々ですが
まさかここにきて、小学校の同級生で共同作業を行うなんて
夢にも思いませんでした。
それぞれが得意分野を楽しみながら的確にことを進めて行く。
ここで改めて昔と今の姿を重ね合わせて
尊敬できる友達であることが嬉しくなりました。
最終的な参加数は6割ほどになりました。
当日はみんなも、先生までおおはしゃぎでした
ひとりの先生は、新任から4年間同学年を受け持ってきたこともあり
我々の代は特に印象深い児童だったと思います。
相当の熱血漢で、
私は、松岡修造を見るたびにその先生を思い出してましたw
この日、「答えはない!!」と先生は仰ってました
何のことかはわかりませんがw
小学校の友達は、損得勘定の無い純粋な友達です。
会えば自然と当時の心に戻ってしまう、かけがえのない存在。
40を前にして、この不思議な感覚が大きな宝になりました
まさに奇跡の同窓会と呼ぶにふさわしいイベントでした
この日に関わっていただいたすべての方々に感謝!ありがとう!
デハ!!