主人公:坂ノ上幸之城の本当の名は、徳川家康の次男『結城秀康』だった
結城秀康が、結城家の当主になった後
家康の道具にされていることに嫌気がさし、家臣の山岡景猶の協力の元に脱走し
とある地方の郷士・一ノ瀬元才の屋敷に居候し、用心棒として暮らす
ある日、家康の刺客に居場所を突き止められて
正体が結城秀康ということを曝される
更に元才を人質として駿府城に来るよう命ずる
一時は自暴自棄に陥るが、家康との決別のため景猶と共に駿府城に乗り込み
家康と謁見。しかし、家康の腕の中で息絶えた
結城秀康(1574~1607)
幼名:於義丸(おぎまる)、於義伊(おぎい)
顔立ちが魚のギギに似ている、もしくは鳴き声から名づけられたとされる
母親は於万の方(おまんのかた)。家康の正室築山御前の奥女中を務めていたが
家康の手がつき、於義丸を身籠ってしまった。家康はこの事を不服とし
3歳まで対面を許されなかった対面は兄の松平信康の計らいによるもの。
その信康は武田内通疑惑により切腹させられた(1579)。
世継ぎは於義丸になるはずが三男の秀忠へ移行
小牧・長久手の戦い(1584)の後、秀吉の下へ養子に出される
秀吉に秀康という名を与えられる。名は羽柴秀康。秀吉と家康の名からとった
家康が忌み嫌った他の理由には、双子として生まれて来たからだという説がある。
於義丸の片割は永見貞愛(1574~1605)とされる。
於万の方は築山御前の怒りを買い、暴行を受け、
全裸で寒い夜、庭の木にくくりつけられたという。それでも秀康を出産した
1587年秀吉の九州征伐にて初陣を果たす。その後小田原征伐にも参加したが
秀吉に実子鶴松が誕生すると、世継ぎを探していた結城家に更に養子に出された
名目上は家康が関東一円を治めることになり、秀康を北関東の家の婿に出した。
結城領は11万石。
秀吉死後、1600年に関ヶ原の前哨戦・会津征伐に参加
徳川秀忠の部下として宇都宮に残り上杉牽制の役を担う
その後、家康から越前国北庄67万石を与えられる(徳川配下ではNo.1)
1607年、病により死去。享年34歳
この人物を演じる上で参考にしたのは
小説
「結城秀康 秀吉と家康を父に持つ男」 PHP文庫 大島昌宏
「結城秀康」 学研M文庫 志木沢郁著
「宿命の兄弟―徳川秀忠と結城秀康」 学研M文庫 坂上天陽
「影武者徳川家康」 新潮文庫 隆 慶一郎
大河ドラマ
「徳川家康」・・・小牧・長久手の戦いの後、秀吉の下へ養子に出される。会津の上杉攻めのとき家康の命に従う。演者は声優の堀秀行
「独眼竜政宗」・・・小田原での秀吉謁見の前夜に伊達政宗と連れションした
「葵徳川三代」・・・関ヶ原後の徳川の世継ぎ問題に際して家臣たちには秀忠よりも秀康を推す声があった。秀康の病死には家康が心底涙していた
劇中の秀康は、暗い過去を背負っていることなど微塵も見せない楽天家
常に笑顔を振りまいて、初めて会ったオナゴにもセクハラ;
でも、心の奥底に深い傷を隠している。
身分を隠して逃げて来たたまだが心底実父家康に認められたいという欲求がある
幸之城の過去は詳しく語られませんでしたが
秀康の生涯を知れば更に心が震えると思います!
デハ!!
大河ドラマ
「徳川家康」・・・小牧・長久手の戦いの後、秀吉の下へ養子に出される。会津の上杉攻めのとき家康の命に従う。演者は声優の堀秀行
「独眼竜政宗」・・・小田原での秀吉謁見の前夜に伊達政宗と連れションした
「葵徳川三代」・・・関ヶ原後の徳川の世継ぎ問題に際して家臣たちには秀忠よりも秀康を推す声があった。秀康の病死には家康が心底涙していた
劇中の秀康は、暗い過去を背負っていることなど微塵も見せない楽天家
常に笑顔を振りまいて、初めて会ったオナゴにもセクハラ;
でも、心の奥底に深い傷を隠している。
身分を隠して逃げて来たたまだが心底実父家康に認められたいという欲求がある
幸之城の過去は詳しく語られませんでしたが
秀康の生涯を知れば更に心が震えると思います!
デハ!!