僕の友達は、中学時代の友達が一番面白いのが多くて、高校時代、大学時代と段々と減っていって、新卒で入った会社には、ほとんどいなかった。
その原因は、そこにいる連中の偏差値のレベルが、段々高くなっているからでは無かろうかと、思っている。
そこにいる連中は、頭が固くて融通が効かず、コミュニケーションをとるのが下手だった。
人の気持ちを汲む事が出来ない。
勉強をせず、発想が後ろ向き。さらに、話がつまらない。
だから、当時飲み会に参加するのが、苦痛で仕方無かった。
ところが、最近起業を目指す仲間との懇親会、だとか、政治的意見の合う人達との懇親会とかに参加するんだけど、これが楽しいのだ。
みんな、こうなりたい、あるいは、世の中をこうしたい、と言うのを持っている。
だから、その話を互いに話し合うのは、非常に楽しいのだ。
さらに、先日、今の会社の人達と、初めて飲みにいった。
現在の仕事は、シフト制で回さなければならないので、全員が一堂に介するのが、なかなか難しいのだ。
驚いたことに、それもまた、楽しいのだ。
良く喋るし、明るく前向きなのだ。
どうしてこうなるのか、考えずには居れない。
で、現在僕が考えているのは、こう言うことになっているではないかと思う。
学校の勉強が出来る奴は、先生から教えられたことを、教えられた通りに実行するのが、無茶苦茶得意な奴だ。
多分、何にも考えなくても、それが出来ちゃう奴なんだ。
しかも、それが出来るから、高校も大学も一流のところに行けちゃうし、大人はちやほやしてくれる。
だから、対人関係で悩むこともない。
あと、決定的なのは、ただただ、偏差値の高い学校を目指せば良いわけで、何ら自主的な目標設定をすることなく大人になってしまうことだ。
そんな奴が、一流企業に就職し、目標は出世することと、マイホームを持つことみたいことになっているんではないかと思う。
彼らに決定的に欠けているのは、自主的に目標を定め、その達成に必要なものは何かを考え、それを学ぼうとする態度ではないかと思う。
つまり、社会人になった彼らは、考えないし、学ばないのである。
ただただ受け身の態度で、教えてくれるのを待っているだけで、悪いのはそれをしてくれない世間なのである。
そんな奴等と20年も付き合ったんだから、僕も勉強が出来たせいで、随分遠回りをしたものである。
自身で目標設定し、その実現に向け必要なスキルを考え、それを勉強している奴が居るなんて、彼等にはほとんど想定外だったのだろう。
だから、彼等には僕が何をやっているかを理解出来なかったし、評価も出来なかったのだろう。
僕は、今そう理解している。
でも、大事なのは、学校の勉強が出来ることではない。
自主的に目標設定をし、その実現に必要なものは何かを考え、それを勉強する。
それを一生することである。
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