親父の会の親父達の驚くべき行動力 | 本当の日本の歴史と、日本人を知って、自信を持つ日本人になるためのブログ

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日本の若者に、我々の先祖は、今を築いた立派な人達であることを理解してもらい、未来を切り開く自信を持ってもらうためのブログです。

閉塞した現代日本社会を打開するためにも、日本人としての自信を取り戻す必要があると考えており、そのための分析も試みています。

娘が小学生の時、PTA会長の呼び掛けで、小学校の親父の会が結成されることになった。呼び掛けに応じて集まった小学生の父親が20人位だったか。たまたま、仕事の都合で遅刻してきた人がいて、その人ビシッとスーツを着て来たもんで、目立っちゃった。そこで、その人を会長にして、相互に親睦を計り、イベントを企画していくことになった。

会長一人、副会長二人、書記一人を決め、月一回定例会議を行うことを決め、その日は散会になった。そこで、僕は平親父の一人として、この会合に参加し始めた。

会では冬に向かって餅つき大会を主催することを決め、実行計画を立案し始めた。餅つき大会ったって、全校生徒700~800人くらいの児童数のある規模の学校だ。ほとんどがサラリーマンの素人の集まりでいきなり実行するのは、かなり難しいのではないかと僕は思った。

ところが、この親父たちの行動力たるや、半端なものではなかった。確かに、誰に命令されたわけでもなく、子供達のために一肌脱ごうと集まった父親だからなんだろうけど、本当に凄かった。

まず、地元の自治会長と話をつけ、餅つき大会の運営への協力を取り付け、その人のつてで、古くから行われている近所の餅つき大会を紹介してもらった。運営ノウハウを教授してもらうために、無料で助力する約束をする。分担を決めて、食材の仕入れや、前日までの準備、当日の運営協力をやり始めた。親父たちは、先ずは運営ノウハウをもつ、親父の親父くらいの世代の人達に徹底的に指導してもらい始めた。そのための交渉は会のリーダー達が全部やり、僕は平親父として、分担に従いせっせと餅つき大会に参加した。その年、自分たちが主催した大会も含めて3回参加した。

それで、僕含め、全員が運営ノウハウを得ることが出来た。それで、会のメンバー中心に、PTAの呼び掛けで集まってくれた、父親、母親の協力の元、本当に自分達だけで、大会をやりきっちゃった。大成功だった。

しかも、運営費を賄うために、このような活動をサポートするための地方自治体の助成金を申請したり、保護者に要請して不用品を供出してもらい、それをフリーマーケットで売ることで、収支もとんとんだった。

みんな、なんちゃら総研、かんちゃら不動産、ふんちゃら生命など日本を代表するような一流企業に勤めていて、年齢も30代後半から40代前半くらいが中心だったから、仕事も忙しかったはずだ。このパワーには、ただただ驚嘆した。

それが終わると、今度は夏に向けて企画し始めた。一晩学校を借りて、お化け屋敷等を作り、子供たちに楽しんでもらおうという企画だ。名づけて、「真夏の夜の小学校探検ツアー」だ。アイデアを持ったお父さん5~6人が、1人1教室分担しアトラクションを作ることになった。僕は、そんなアイデア出せないから、前日に子供たちに配るための、風船ヨーヨー作りと、当日の廻覧ルート作りと、開催中の案内係をやっただけだった。

出来上がったアトラクションは力作揃いで、洋風あり、和風あり、SFっぽいのもあり、下手な遊園地のそれより出来が良かった。なかには副校長の女性先生を引っ張りだしてきて、幽霊役にしている作品も有った。一回こっきりで片付けちゃうのは、本当に勿体無かった。

みんなドキドキワクワク、喜んで歓声をあげる子が大勢いて、本当に楽しそうだった。最後は、全員をグランドに集合させ、花火大会だった。そりゃ素人がやるんだから、本物の花火大会よりは小規模だったけど、素人向けの打ち上げ花火としては、多分最大級の物だ。それに、業者と相談して台座にセットすることで、安全に連射をする準備もしてあった。だから15分位は連射出来てたし、何より全員花火のすぐ下の特等席だ。歓声も凄かったし、間近で見る花火の迫力は、きっと小学生に与えたインパクトは、本物の花火大会をしのいでいたのではないかと思う。

それに、多分情報リークは、会に平親父の立場で参加していたPTA会長ではないかと想像しているんだけど、地元のケーブルテレビが取材に来て、イベントのリーダーのインタビューと、喜ぶ子供達の様子が放映された。

こんな行動力のある親父達のいる学校に通う子供たちは幸せだ。みんな忘れられない思い出になったことだろう。

僕も今まで、いろいろな組織の一員としてやって来たけど。この組織は最強だった。会合の進みも驚くほどスムーズだった。こういうイベントをやりたい。実現のためには、これこれ、これこれ、これこれの課題があるとかって話になると、「じゃあ、それ私がやります。」って人が、次から次に現れて、よくある仕事の押し付けあいになることなんて、一度もなかった。で、みな次回の会合にはきちんと、その解決案を持ってきた。

その見事な手腕を驚いてみていると、僕に向かって、「じゃあ、これをやるので一緒に来てください。」と言ってくるので、承諾する。で、その仕事は、「いつ、どこそこで餅つき大会の事前準備に関するレクチャーをしてもらえることになったので、それに参加してください。」だとか、「今度どこそこで餅つき大会があるので、それに参加し、労務を提供しつつ勉強してきてください。」とか、労務を提供出来れば誰でもできるものだった。企画を練ったり、解決策を探ったり、知恵と勇気が必要な仕事は、決まって自主的に立候補する人がいて、会議が紛糾することなんて、一度もなかった。それを見ていた僕は、こんなに優秀な人達が集まった組織が存在しうることに、ただただあきれるばかりだった。

自分が、その組織の構成メンバーの中で、 一番無能なメンバーであることを、この時ほど、決定的に自覚したことはない。

会社の中でもピカ一の人材が集まった、オールスターのような組織だったんじゃないかと思う。

会が結成されたのが、娘が五年生の時だったので、僕がこの会合に参加したのはこの一年だけだった。けど、こういうイベントは一回やれば、運営ノウハウが会員メンバーに残るから、次回からは格段に楽になる。きっと今では恒例行事になっているんではないかと思う。この経験は、本当に勉強になった。

この親父の会創設メンバーの親父達は、本当に偉大だ。


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