SHIROSUGI~デザイン思考を診療に -12ページ目

SHIROSUGI~デザイン思考を診療に

若手歯科医の思考の足跡

グラフィックデザイナー、建築家、インダストリアルデザイナー、


といった言葉は喉に詰まる。


by Alvin Lustig (アルヴィン・ラスティグ)




2014年のユーキャン人気講座のTOP3は次のようになっているようです。


1位:医療事務


2位:調剤薬局事務


3位:実用ボールペン字


(生涯学習ユーキャン:2014年上半期 人気ランキングTOP30より)




医療事務、調剤薬局事務が上位に来ているのはなんとなくわかるような気がします。


歯科医院の数はコンビニよりも多いと言われているし、


地域ごとにお医者さんはあるはずで、提携している薬局も同じくらいある…はず。




資格っていうものに対して、その考えには賛否両論あると思います。




「いまの時代、自分で食べていくためには資格くらいとっておかないとね。」


「いや、資格だけでは食べていけないでしょ」




んー、まぁこの議論は立ち位置によってどうとでもいえると思うので、


今回はちょっと別のお話をしてみようと思います。




さて…




資格っていうと、お医者さんとか歯医者とか弁護士さんとか、


そういうものをイメージするとわかりやすいと思います。




彼らは自分の仕事をするために、資格という「許可証」をもらわないといけない。


つまり、「資格」っていうものには、「許可証」という側面がある、ということです。




そして資格をもらうことで、はじめてその許可範囲内の仕事ができるということ。


お医者さんは手術ができるようになるし、


歯医者は歯を削っていいことになるし、


弁護士さんは法廷にたってもいいことになるわけです。




しかし、ここに落とし穴があるんです。




資格=その資格に許された範囲のことをしてもいいよ、と許可をもらう。


ということは、資格範囲外のことはしてはいけませんよ、


って禁止項目まで暗黙のうちに一緒についてくる、っていうことです。


歯は削っていいよー⇒人のお腹を切り開いて手術するのはだめだよー。




ってことなんだよね。



許可をもらうってことで、シロとクロの境界をはっきりさせられるってこと。


していいこととしちゃいけないことをはっきりさせられるってことなんだ。




自分の武器を持つために資格を取りにいったのに、


していいことと、しちゃいけないことを両方決められてしまう。




それは自分の可能性を狭めてしまうことと同じだと思うんだけど、どうだろう?




Alvin Lustigはこんなことも言っている。




ただでさえ専門領域なのに、さらに狭い専門分野へと閉じ込め、


社会との関係性を制限するような、不完全な状態に陥る気がする。


デザイナーという職業の領域には未だ境界がない状態なのに、


その行動だけを説明して全体像を捉えていない、m


不適切な用語だと思う。




うん、ほんとうにそう思う。




医学の世界はどんどんその専門領域が細分化している。


それは、研究という面では、医学の進歩に大きく貢献しているだろう。


でも、人の可能性という面では、社会との関わり方をどんどん制限していくのと同じ。




そして、自分の専門領域を聖域化していけばいくほど、


どんどん制限がきつくなってしまって、そこから出られなくなってしまう。




それって、窮屈な生き方だと思うんだ。




「お医者さん」だから、病気を治すことしかできないの??


「歯医者」だから、歯を削るしかできないの??


「パン屋さん」だから、パンしか焼いちゃいけないの??


「お母さん」だから、子育てや家事のことしかしてちゃいけないの??




資格とか、役職ってのは、ただのラベルでしかないんだ。


そんなラベルで、自分の生き方を窮屈にしちゃいけないんだ。




いまの生き方が窮屈だな。


そう感じているなら、自分に貼りついているラベルをはがしてみよう。




とりあえず資格をとりに行くくらいなら、


いまの自分で何ができるのかをフラットに考えてみよう。




もっと自由に、もっと幅広く、


自分のできることをおもいっきりやってみよう。


そんな生き方をしていこう。


「お金持ちにしてあげるとは、誓わない・・・

けれど、面白い人生になることは約束するよ」


  byバラク・オバマ




なんとなくネットを見ていたら、出会ったプロポーズの言葉たち。


そうか、もうすぐクリスマスか。


この季節になると恋人からのプロポーズとか期待するのかな?




そんなことを考えながら見ていたら、


オバマ大統領が奥様のミシェルさんにしたプロポーズに目がとまりました。




お金持ちにしてあげるとは誓わない


面白い人生になることは約束するよ。




いい。


すごくいい。




一生幸せにするよ、とか、

一生守り続けるよ、とか、


ありふれた決め台詞はたくさんある。


それはどこかかっこつけていて、どこかかっこ悪い。




でもオバマのは違う。




一緒にいてくれたらお金持ちになるとは言わない。


一緒にいてくれたら毎日が楽しくなるよと言っている。




僕が君を幸せにするよ、とは言っていない。


僕と君と二人で一緒になろうよ、と言っている。




僕と君は向かい合っていようと言っているんじゃない。


僕と君は同じ方向を向いていようと言っている。



「星の王子様」で有名なサン=テグジュペリ。


「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめること。」


彼の言葉です。




オバマは、同じ方向に向かっていこうと言った。


それは楽しいことばかりじゃないかもしれない。


つらいことや大変なこともあるかもしれない。


それでも最後には面白かったと言えるから。


それを約束した。




面白いの定義は人それぞれ。




でもそこに共通しているのは、


新しい何かと出会い続けることだと思う。




同じものに囲まれ、同じ人と出会い、同じ毎日を過ごす。




一見それは平凡で平和な毎日かもしれないけど、


そこには新しい世界との出会いは存在しないんだ。




新しい世界との出会いとは、新しい自分との出会い。


新しい自分との出会いは、新しい可能性との出会い。


新しい可能性があれば、そっちに行きたくなるのが人間だ。




そして面白い人生とは、


新しい可能性への挑戦の繰り返しだ。




ついていく方も大変だろう。


でもそれでいいんだと思う。




自分が信じた相手なら、


きっと面白い人生を経験させてくれると思うから。




オバマはそんな人なんだと思う。


美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。



美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。



               byオードリー・ヘップバーン




「ローマの休日」で有名なオードリー・ヘップバーンの言葉です。


僕はローマの休日をぼんやりとしか見たことないのですが、


オードリー・ヘップバーンいまだにCMでも見ることがありますよね。




「ローマの休日」は制作年度1953年ということで、


いまからざっと60年前!


不朽の名作と言われるゆえんだと思いますが、


またしっかりと見てみたいと思います。




さて、このオードリー・ヘプバーンですが、


女優としてもですが、一人の女性としても


とても魅力あふれる女性だったそうです。




そんな彼女の残した言葉が、上記の言葉。


「美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。


美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい」


というものです。




これだけ聞くと、超一流が言うことは違うなぁ、とだけになってしまいがちですが、


少し調べてみると、ヘプバーンの意外な一面が見えてきます。




彼女は、ファッション界にも大きな影響を持っていました。




サルヴァトーレ・フェラガモは


「オードリー・ヘプバーンという女性、そのスタイル (Audrey Hepburn, a woman, the style)」


と銘打って、彼女のためにデザインした靴を発表したことがありますし、




ユベール・ド・ジバンシィがデザインした服によって、


ヘプバーンのお茶目な妖精のような美貌と人形めいた痩身


というイメージが決定づけられたとされています。




そんな、女優として、モデルとして影響力を持つ彼女ですが、


とあるインタビューでこんなことを言っています。




「私は定期的に自分のことが大嫌いになります。


太りすぎ、背が高すぎ、もしかしたら単純に醜いだけなのではないかと。


私が本来、自分に自信がなく劣等感を抱えた優柔不断な女性であることは間違いありません。


無理矢理にでも気力を振り絞らないと何もできないのです」




意外にも、彼女は自分自身のことを、


それほど好きではなかったんじゃないかっていうようなこの発言。




僕は、


オードリー・ヘップバーンが僕たち一般人となんら変わらない感性を持っていて、


それでいながら第一線で活躍するために、


オードリー・ヘップバーンであり続けるために、


自分を鼓舞していたような気がしてならないのです。




オードリー・ヘップバーンの魅力は、


「ごくごく普通の一人のかわいらしい女性が、


みんなが望むオードリー・ヘップバーンであり続けるために、


オードリー・ヘップバーンであることを演じ続けた。」




このある種の人間臭さこそ、


もしかすると彼女の本当の魅力なのかもしれませんね。




美しい唇でいるために。


そのためには、きれいな言葉を使わないといけない。


美しい瞳でいるために。


そのためには、他人のいいところを見るべきだ。




単なるきれいごとのように聞こえてしまうような言葉ですが、


僕はこの考えが好きです。




人の悪口、陰口ばかりたたいているような人の表情はきれいではないし、


人の粗探しばかりしているような人の目は濁っているような気がします。


悪口や陰口を叩いてしまった後は、気持ちがどこか落ち込んでしまうし、


それは必ず負のフォードバックとなって、表情に現れてきます。




だからこそ、彼女は、これを大切にしたのでしょう。


オードリー・ヘップバーンであり続けるために。




そんな人間臭い彼女が大切にした言葉だからこそ重みがあるし、


僕らも大切にしたいと思いませんか??