常識にとらわれず
世の中には、常識というものがあって。
自分の中には、常識というものがあって。
それらは、はみ出してはいけないという意識があって。
でも、そうすれば、
新しいものは生まれないし、
付加価値を生産できない。
私は、常識を超えることが求められている。
けれど常識を超えることは怖い。
常識を破れば、だれかにビシビシ叩かれる。
仲間からも叩かれる。
孤独じゃないか、惨めじゃないか。
それでも常識の枠にはまっちゃいけない。
常識を超えて力強く城を築けば、
きっと観光名所になる。
観光客がきてそこの経済が潤う。
そうすれば、私の城は評価される。
城の存在意義が、やっと他人から与えられる。
道は長いし、叩かれ死ぬかもしれない。
でも、もう他にどうしようもすることがないし、
ただ進むしかない。
それほど変わってませんので。
恋人だった人に、この間、
「あの時、今のキミだったなら付き合っていたかった」と言われた。
あらあら、でも今の私ならキミとは付き合わないよ。
永遠の物別れ、ということで。
それはともかく、
どうせ今の私でもうまくはいかないと思う。
私は確かに変わったけれど、
やっぱり変わっていなくて。
恋人だったその人が嫌ったところはまだまだそのままだ。
恋人の性格を変えるよりも、もっと合う恋人を見つけるほうが早い、
といったのは、この元恋人。
昔の自分はもう他人、アンド、、、
この間、2年ほど前のことを謝られた。
2年前、私はその人に深く傷つけられた。
けれど、いま謝られても、
「私じゃなくて、彼女に謝りなよ」
という感想しかない。
彼女とは、昔の自分。
もはや、昔の自分と今の自分は、異なる人間というわけか。
その昔私は、その人がどんどん変わっていく様子を見て、
「あぁ、もう「彼」はいない」
と思った。
「彼」とは、ある一時点の彼。
彼という人は、物質的には連続して存在しているが、
ある一時点の彼はいなくなった。
私は、それを「死」と名づけた。
今度は、「私」が「死」を迎えていたようだ。
もうあの時の「私」はいない。
もうあの時の「私」は死んだ。
人は、連続的に存在しているように見える。
けれども、人は一瞬一瞬を生まれ、
その瞬間ごとに死んでいく。
死と生とは、この意味において、
なんら対極するものではないのだと思った。