・軍国日本の興亡(猪木正道著、中公文庫、2021年1月25日初版発行、900円+税金)(もとは1995年に中公新書で)

・戦後日本に「広く深く根を張った空想的平和主義」が「何に起因するかを考察し」た結果として「戦前・戦中の軍国主義を裏返しにしたものだと気付いた」著者が、空想的平和主義を克服するには軍国主義を振り返ることが必要だと考え、「わが同胞への遺言のつもりで」書いたという、歴史書です。

 「日清戦争から日中戦争へ」の副題の通り、1890年代から1940年代へと至る日本の歩みを、政治と軍事を軸に辿っています。著者が1960年代(!)に京都大学で日本政治・外交史を講じた時のノートをもとにしているそうで、1990年代半ばに新書として世に問うた著作らしいです。新たな歴史的知見を披露するといった趣の本ではなく概ね常識的な歴史解釈に沿っている印象ですが、激しく揺れ動いた情勢をわかりやすく簡潔に整理していて読み応えがあります。特に、政治家や軍人たちに対する忌憚のない、しばしば辛辣な評価が、とても魅力的です。

 以下、印象に残った史実や論評を少々――。

(1)1903年に対露強硬路線を求める意見書を小村壽太郎外相に提出した東大教授の戸水寛人ら7人の学者は、日本とロシアの戦争遂行能力にほとんど無知だったと。「こういう大学教授たちが時事問題について発言するのは有害無益」

(2)日清戦争でも日露戦争でも日本は宣戦布告より前に軍事行動に移っていた:その延長線上に真珠湾でしょうか

(3)日露戦争を機に日本が「保護国化」した韓国では各地で反乱が起き、鎮圧のため日本軍は1907年8月から1911年6月までに1万6700余人を殺害した:すごい数です。知りませんでした。驚きました

(4)ポーツマス条約の追加約款では、日露両軍は18ヶ月以内に満州から撤兵することになっていたが、日本軍は居座った。これに伴う問題を話し合うため1906年5月に首相官邸で開かれた「満州問題に関する協議会」では、陸軍代表というべき児玉源太郎の主張に伊藤博文が反論し児玉を叱咤した:平塚篤の「伊藤博文秘録」によるらしいのですが、伊藤の迫力は大したものです。この会議については、伊藤之雄によるなかなか重厚な評伝「伊藤博文」(講談社学術文庫)も触れてはいるのですが、平塚の著書のような細部に踏み込んでいないため、物足りないのは否めません。あるいは史料的な制約があるのかもしれません。ともあれ、国際法を顧みない膨張主義という日本陸軍の悪弊を児玉でさえ免れなかった印象です。本書はそこまで踏み込んで指摘してはいませんが……

(5)1885年の内閣制度発足から1945年までの60年間に30人の総理大臣が誕生した(重複は除く)が、うち15人は軍人だった

(6)戦前の政党政治では文民は陸・海軍大臣になれなかったので、文民政治家は安全保障の勉強をしなくなった。戦後もこの傾向が生き残っている

(7)大逆事件の裁判は判決文以外が一切秘密とされた

(8)上原勇作による帷幄上奏事件と西園寺公望内閣の瓦解は田中義一が裏で糸をひき山縣有朋や桂太郎が後押しした

(9)日中の対立を決定的にしたのは二十一ヶ条要求だった:その通りだと思います。ただ、この時の首相が大隈重信で、外相が加藤高明だったことに本書が触れていないのは、不満です

(10)第一次世界大戦の主戦場に日本は関与しなかった結果、欧州列強の軍事力と日本のそれとの間には「天地の開きができてしまった」

(11)第一次世界大戦後、米国は日本と英国の双方を想定敵国とする大海軍の建設に乗り出した:これは知りませんでした

(12)わが国最初の本格的政党内閣といえる原敬内閣は3年間にかなりの仕事を成し遂げた。具体的には①右翼や下田歌子にそそのかされた皇后の反対を押し切って皇太子裕仁の欧州訪問を実現した②ワシントン会議参加を決め、加藤友三郎を首席全権として派遣した――:wikiで調べたところ、原敬を暗殺した中岡艮一は1980年まで生きていたそうです

(13)大杉栄夫妻と7歳の甥が憲兵隊によって殺害された甘粕事件は、戒厳司令官の命令によるもので、甘粕個人の責任でない:これはどういう根拠によるのか、わかりません。著者独自の情報があったのでしょうか

(14)大正民本主義のかげで日本の軍国化は進んだ。中心となったのは田中義一:在郷軍人会の組織化や学生の軍事教練強化に著者は注目しています

(15)若槻禮次郎内閣を倒し田中義一内閣に道を開いたキーパーソンは、枢密顧問官の伊東巳代治だった

(16)張作霖爆殺事件で田中首相は軍の長老として断乎処罰に踏み切るべきだった

(17)ロンドン軍縮会議に向けた加藤寛治軍令部長の書簡を読むと、彼が「希望的観測という幻想の世界に住んで」いることがわかる。「現実から解放されていることは気の毒なほどである」

(18)統帥権問題で、政友会の犬養毅総裁や大幹部の鳩山一郎らが浜口内閣を攻撃したが、もともと日和見主義的な鳩山は論外として、立憲政治確立に生涯を捧げてきた犬養が軍部の暴走を助けたのは、惜しまれる

(19)世界征服を展望する石原莞爾の構想は「国際法と国際政治の観点が完全に欠落していた」。経済への目配りも杜撰だった

(20)満州事変は板垣征四郎や石原らの関東軍が主犯だったのは確かだが、朝鮮軍司令官の林銑十郎が支援部隊を派遣したことは事態を深刻にした。若槻禮次郎首相は「無断越境した朝鮮軍を少なくとも一時的に見殺しにすべきだった」

(21)五・一五事件で犬養毅首相が殺害されたことについて、犬養の娘婿である芳澤謙吉外相に内閣書記官長の森恪は「総理も間違っているよ」と語った:これはなかなか悍ましい発言だと感じます。著者が「森書記官長は根本的に間違っていた」と指摘しているのは頷けるところですが、森が犬養暗殺を手引きした可能性(噂?)に踏み込んでいないのは、物足りないところです

(22)五・一五事件の1年ほど後に司法、陸軍、海軍の3省が発表した共同声明を今日冷静な目で読めば「1933年ごろの日本人がすでに発狂していたと断定しなければなるまい」

(23)同時に発表された荒木貞夫陸軍大臣の談話は、さらに驚くべき内容だった。荒木のような「無責任きわまる野心家がはばをき

かせる時代が到来した」:wikiで調べていささか驚いたのですが、荒木は1966年まで存命だったそうです。A級戦犯として無期懲役になったのものの、55年に保釈となったあとは色々と活動していたとか

(24)五・一五事件の被告の減刑を求める運動が全国的規模で展開された:「日本国民の少なからぬ部分が精神に異常を来していることを示した」との著者のコメントには共感しました

(25)二・二六事件に際して「日本陸軍の首脳がどれほど無為無能であったかは、驚くほかない」。陸相だった「川島義之大将に至っては、なぜこれほど無能な人物が陸軍の最高位に昇進しえたか、まったく説明がつかない」:と書いた後で著者は、陸軍では「一天、二表、三敬礼、四馬鹿が昇進に役立つといわれていた」と指摘し、陸軍の人事評価がろくでもないものだったことを示唆しています。こうした問題はあらゆる官僚組織に共通する気がしますが、日本の官僚組織で特に際立っているようにも感じます

(26)二・二六事件では、立憲君主国としての日本の運命が昭和天皇一人の双肩にかかっていた

(27)二・二六事件の鎮圧は軍紀粛正の好機だったが、陸軍首脳は例外なしに腰抜けだった:辛辣!

(28)思うに、日本の陸軍には日露戦争に勝利した頃から、将軍はほとんど大山(巌)元帥気取りとなり、万事を幕僚に任せるという弊風が顕著になった:頷ける指摘です。大山が偉すぎたというべきでしょうか

(29)二・二六事件を受けて首班に指名された広田弘毅は、組閣の段階で陸軍の横槍に屈服した/広田内閣が1936年8月7日に決定した「国策の基準」は、当時の日本が陸でソ連、海で米国を仮想敵国とする「途方もない妄想に自己満足していた」ことを示す。冷静に考えれば自殺行為だった:全く同感です

(30)広田の後に首相になった近衛文麿公爵は「優柔不断で定見がなく、まったく気まぐれな素人政治家」だった:トランプにも当てはまる形容のように感じますが、トランプの場合は徹底した私利私欲という「定見」があるようにも思います

 なお、歴史を辿った本論に比べてごく短いながら、「まえがき」も読み応えがあります。冒頭に紹介したように、戦後の「空想的平和主義」と戦前・戦中の軍国主義が「双生児のように似ている」と主張しているのですが、より具体的に「考え方が独善的であり、国際的視野を欠いて一国主義的である」と指摘しているのです。見事な分析だと考えます。「空想的平和主義」の問題点としてさらに、「自国をみずから防衛することによって国際社会の平和と安全に対する責任を果たす、という重要な視野が全く欠落して」いる、とも批判しています。これまた説得力があると思います

 政治思想史を専門とする著者は、「空想的平和主義」のみならず戦後日本の論壇を席巻していた社会主義や共産主義にも批判的でした。防衛大学校の校長をつとめたこともあって、かつては「保守派」のレッテルを貼られていたと記憶しています。が、本書を読めば一目瞭然の通り、その思想は自由主義です。いわゆるオールド・リベラリストの系譜に連なっていたといえるでしょう。

 いわば付録として巻末に掲載されている回想記「軍国日本に生きる」は、そうした著者の思想の原点を明示しています。わけても、恩師である河合栄治郎・東大教授に敬愛の念を抱き続けてきたことには、感動さえ覚えました。1936年の二・二六事件の直後、3月9日付の「帝国大学新聞」に掲載された河合の一文は、事件を批判し首謀者を批判し、軍部の驕りを批判し沈黙する知識人を批判したものだったようです。著者はこの新聞をずっと保存していて、「河合教授の文字どおり生命がけの一文」が「その後60年間、私を支えてきた」とまで書いています。実際に河合は2年後に著書の発禁処分を受け、さらに東大を追われ、やがて病死しました。

 なお、この回想記によれば、著者は学生としては経済学を学び、卒業後に三菱グループの企業で日米の戦争経済について調査したりドイツの継戦能力について調査したりしたそうです。これは私にとって全くの初耳で不明を恥じるばかりなのですが、ともかく、データに基づく、いわば地に足のついた調査研究の結果として著者は、対米強硬論など勇ましい議論に賛成しなかったわけです。さすがだと、今更ながら感じ入りました。

 もっとも、著者の専門分野が最終的に政治思想史になったのはなぜか、そのあたりは今ひとつよくわかりませんでした。著者による「共産主義の系譜」(角川ソフィア文庫)を読んで深く感銘を受けた身としては、著者が政治思想史を専門にしたことは大変にありがたいわけですが……。

 もちろん、遺言のつもりで書いたという本書にも感銘を覚えました。「なぜ、日本の指導者たちはこれほど愚劣なのか」。1914年生まれで、昭和日本の「自殺」の過程を同時代人として生きた著者の悲痛な言葉には、胸を抉られました。