・勝海舟と幕末外交(上垣外憲一著、中公新書、2014年12月20日発行、880円+税金)

・このところ幕末維新の歴史をあちこち徘徊しているのですが、そのなかで、1861年のポサドニック号事件(ロシア海軍が対馬の一部を占領した事件)に際して勝海舟が手を回して上手く処理した、との説があることを知り、手を伸ばした本です。真っ当な歴史学者なら書かないような大胆な推測によって、海舟こそは事件を解決に導いた影の功労者だ、と主張しています。眉唾というか際物というか、正直いって信用ならない中身なのですが、史料の隙間と裏側を突いた推論の数々は面白く感じました。

 ポサドニック号事件とは、文久元年2月3日(1961年3月14日)、ロシア海軍中尉ビリリョフが指揮する軍艦ポサドニック号が対馬に来航し、やがて中尉たちロシア将兵は無断で上陸して兵舎や工場、練兵場などを建設した、という出来事です。当時の日本は軍事的に対抗する力がなく幕府は右往左往したのですが、最終的に英国が軍艦2隻を対馬に派遣したことでポサドニック号は退去しました。文久元年8月15日(1861年9月19日)のことで、つまりロシア側は半年以上も対馬の一角を占拠したわけです。

 この間、咸臨丸に乗って現地まで出向きビリリョフと交渉した幕府の代表の一人が外国奉行・小栗忠順でした(来年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公ですね)。が、小栗はロシア側の譲歩を引き出せず、事態を打開するために対馬を天領としたうえで国際的な交易の拠点として開港する、との案を幕府内で提起したようです。これは(井伊直弼が暗殺された後)外交の最高責任者だった老中・安藤信正の容れるところでなく、小栗は外国奉行をクビになりました。

 一方で安藤は、英国の駐日公使だったオールコックと話し合い、結局は英国の軍事力を利用してビリリョフたちを退去させることに成功しました。この英国との交渉を裏でお膳立てしたのが海舟だった、というのが本書の主張です。典拠となる史料は「氷川清話」など海舟が後に語った回想の類です。幕府や英国などの公文書には、海舟がポサドニック号をめぐる外交交渉に関わった、といった話は見当たらないらしいのです。

 ところで海舟の回想といえばホラ混じりの自慢話といった趣で有名です。なので、ポサドニック号をめぐる海舟の自慢話もどこまで信じられるのか、真っ当な歴史家の間では疑問符をつける傾向が強いようです。対して海舟ファンの著者は、海舟が残した言葉は「90%」まで信用できるとし、ポサドニック号をめぐる海舟の言葉に沿って歴史を解釈しようとしたのです。

 著者の論理展開は決して単純ではなく、当時の国際情勢や国内情勢を踏まえて公文書が海舟の動向を記さない理由を推測し、様々な史料の断片をつなぎ合わせて海舟の自慢話を裏付けようとしています。そうした国際情勢や国内情勢のミクロの分析はなかなか味があり、惹かれるところがありました。

 たとえば、当時の幕府内では親露、親英、親米の三つの路線が錯綜していた、との見方には説得力を感じました。勅許を得ないまま米国と修好通商条約に踏み切った井伊直弼以来幕府には親米の傾向があった、と著者はいいます。しかし1961年、対馬でポサドニック号事件が起きて間もない頃に米国内で南北戦争が勃発した結果、米国は極東の情勢に介入する余裕を失ってしまいました。結果として幕府内では親米路線が後退し、親露派と親英派が張り合う構図ができたというのです。そして著者の見立てでは、親露派の代表は古くは川路聖謨でありこの事件当時は小栗だったというのです。対する親英派の代表があえていえば安藤で、その安藤を支えたのが海舟だった、というわけです。というよりむしろ、安藤や海舟はバランス重視派だった、と著者は見ています。

 一方、英国とロシアも一枚岩だったわけではないようです。英国のオールコックはロシアと前後して対馬占領あるいは対馬租借を画策するなど対日強行論者だったのに対し、第一書記官オリファントは相当に親日的だったとのこと。そしてポサドニック号事件の解決のため英軍艦ともに現地に出向いたのはオリファントでした。

 ロシアでは、外相のゴルチャコフが親日的・融和的だったのに対し、「海軍総裁」だったコンスタンチン太公や東シベリア総督のムラヴィヨフ、極東艦隊司令官のリハチョフは日本に対して相当に厳しく攻撃的だったとか。

 国内の事情に絡んでは、例えば対馬は長州藩にとって密貿易の拠点だったため、そこを天領にしようとした小栗は長州藩の強い恨みを買った、との指摘に、大いに納得しました。のちに小栗が新政府軍に斬首された理由の一端はここにあった、との主張はうなずけます。

 マクロの国際情勢分析も参考になりました。例えば当時のロシアと英国は極東も含め世界規模で対抗関係にあったことです。1853~56年のクリミア戦争の一環としてカムチャツカ半島を舞台とした戦闘を繰り広げたこと、1856~60年のアロー戦争(第2次アヘン戦争、英仏連合軍が北京まで侵攻した戦い)では停戦の仲介役を務めたロシアが破格の漁夫の利を得ていたことなど、当たり前といえば当たり前なのですが、英露の「グレート・ゲーム」の広がりがよくわかりました。

 当時は秘密外交が最も盛んだったとして、史料が存在しないところで「推論に推論を重ねた話」を展開しているため、どこまで信用していいのか、という疑念はつきません。もっともらしく嘘を書いているわけではなく、大体において推測なり想像であることを正直に認めているのですが、そんな推測・想像を前提にしてさらなる推測・想像を展開している部分があるため、どうにもいかがわしいのです。著者は「比較文化」や「日韓文化交流史」を専攻とする学者さんらしいのですが、それにしては歴史学のルールに則っていない印象です。典拠のある話と想像をもう少し割りやすく仕分けしてくれれば、もう少し信用できたかもしれません。学界での本書の評価はどうなのでしょうか?

 加えて全体の構成や文章が整理整頓されないままになっているので読みづらく、頭の中にもすっきりと入ってきません。相当にユニークな議論を展開していて興味深いだけに、もっとわかりやすく読ませる工夫をしてほしかった、と思います。

 ともあれ、幕末の外交について考えるヒントがいろいろ詰まっているように感じます。新書という体裁を踏まえると、なかなか楽しい読み物になっていると評価できるのではないでしょうか。文字通り日本という国の「かたち」を整える取り組みの出発点ともいえるのが幕末外交だけに、改めて通史のようなものに目を通したいという意欲をそそられました。