・地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか(垣見隆ら著、朝日新聞出版、2025年2月28日第1刷発行、1900円+税金)

・7月6日は麻原彰晃と早川紀代秀、井上嘉浩、新實智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一というオウム真理教の教祖と幹部計7人がいわば一斉に処刑された日でした。2018年のことで、法相は上川陽子氏でした。再審請求中の死刑囚が結構いただけに、驚いた記憶があります。この死刑執行については改めて考えてみたいと思っているのですが(2008年の久間三千年さんの死刑執行なども含めて)、その前に、事件の捜査そのものについて検証した本書を紹介しておきたいと思います。以下は、1年あまり前に書いた本書の読後メモです。

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 1993年9月から95年9月まで警察庁刑事局長を務めた垣見隆氏へのインタビューを軸に、あの事件、特に警察の対応について検証した、ノンフィクションです。「当事者の中の当事者」と評すべき人物が、事件から30年を経てようやく重い口を開いた、という印象で、渦中にいたからこその証言は生々しく、迫力があります。

 基本的には、あの事件は防げたのではないか、という反省、後悔、やり切れなさが、証言者本人にもインタビューアーたちにも蟠っていることが、強烈に伝わってきます。89年の坂本弁護士一家殺害事件と94年の松本サリン事件の双方で、警察当局の初動捜査は見当違いだったことや、警察が計画していた一斉強制捜査のわずか2日前に地下鉄サリン事件が起きたことがいまや明らかになっているので、まあ妥当、というか当然の見方だとは思います。それでも、捜査の最高指揮官といえる証言者の見解だけに、辛い、というより痛ましいような気分に陥りました。

 当時の情勢を踏まえるなら、決断の難しさも痛感します。94年8月に松本サリン事件にオウムが関与していた疑いが浮上し、9月には警察庁捜査一課にオウム専従班が誕生し、11月には山梨のオウム施設周辺の土壌からサリン残渣物が検出され、その情報を95年元旦に読売新聞が一面トップで伝え、2~3月には仮谷清志さん拘束監禁殺人事件……と、まさに怒涛の展開があったわけですが、その一方で1月17日に阪神大震災があり、何よりもサリン対策に万全を期すには警察だけでは力不足で(防衛庁の手助けが欠かせなかった)、強制捜査の実行までに手間取ったのはやむを得ないところがあった、と感じるのです。

 強烈な印象を受けたのは、垣見氏の不遇です。事件がひと段落した95年9月に警察大学校の校長に転任したのですが、垣見氏自身はこれを「失脚」「更迭」と受け止めたそうです。「左遷」というべきでしょう。1年も経たないうちに「退職勧奨」を受けた際は何らかのポストを提示されたらしいのですが、それを蹴って一民間人になったのは、よほど腹に据えかねたからだと推察します。当時の国松警察庁長官(地下鉄サリン事件の10日後に撃たれた人ですね)や関口次長、井上警視総監らも責任を問われておかしくなかったのですが、結局はすべてを垣見氏に押し付けた、という印象です。そして、いわば垣見氏を陥れるための情報操作にマスコミが加担していたフシがうかがえ、いよいよやりきれない気分を覚えました。

 ほとんど忘れていたことに我ながら驚いたのは、オウムの「科学技術省大臣」だった村井秀夫がサリン事件の1ヶ月半ほど後に刺殺された事件です。犯人は山口組系の暴力団員だった徐裕行という男ですが、その背後関係はいまだに解明されたとは言い難いところがあるようです。なお、調べてみたところ、徐は2007年には出所して社会復帰しているそうです。また、坂本弁護士一家殺害事件をめぐって証言した岡崎一明や、国松狙撃事件に関して証言した中村泰をめぐっても、いろいろ疑念が残っている印象です。

 2010年に国松長官狙撃事件の控訴時効が成立した際に警視庁の青木五郎・公安部長が記者会見し「あれはオウムの仕業」と強弁したことには、改めて違和感を抱きました。さらに、1996年2月に警察庁捜査一課がまとめた「松本サリン事件の捜査概要」という文書が2024年に情報公開された際、何箇所か黒塗りにされていたとのこと。いまなお警察はあの事件に真剣に向き合っていないのでは、と考えてしまいました。

 事件を防げなかった反省から、広域捜査を警察庁が指導・指揮する権限がいくらかは強化されたことや、宗教法人法が改正されたことなど、改善があったとはいえるでしょう。特に宗教法人法の改正について垣見氏が、2023年の旧統一教会解散請求にも役立ったと評価しているのは、印象的でした。もっとも、オウム事件のせいで世間の関心が当時の統一教会から逸れてしまい、遂には安倍晋三銃撃にまで至った面もあり、なかなか単純な評価はできないと思うのですが……。

 読み進むうちに浮上してきたのは、坂本弁護士事件のあった89年と松本サリン事件のあった94年、地下鉄サリン事件のあった95年は、多事多難だったなあ、という同時代人としての感慨です。89年は昭和天皇の死去から天安門事件、東欧の社会主義の動揺、ベルリンの壁崩壊、マルタ会談、チャウシェスク処刑と、世界が激動した年でした。94年は、NAFTAの発効、南アでマンデラが大統領に、ルワンダのジェノサイド、金日成死去、フェルマーの最終定理の証明、米朝枠組み合意、などなど。そして95年。WTO発足、阪神大震災、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件、テレサ・テン死去、第三次台湾海峡危機、第一次チェチェン紛争の勃発、などです。

 もっとも、21世紀はもっと多事多難になってきた、と感じてもいるのですが。

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 以上、改めて読み返してみて、我ながらそれなりの読書メモになっているなあ、と思った次第です。ただ、新たに気づいたことが一つあります。北朝鮮の金日成主席と安倍晋三元首相の命日が同じことです。なんだかなあ。