・地球内生命(カレン・G・ロイド著、黒川雄大訳、みすず書房、2026年4月16日第1刷発行、3700円+税金)
・日光が届かず酸素も乏しい地下深くに暮らす微生物たち(=地球内生命)の生態を研究する米国の生物地球化学者が、研究材料採取のため訪れた世界各地の辺境での苦労話、というより冒険譚を面白おかしく披露しながら世界の研究の進展ぶりを紹介し、地表の常識で測りきれない生命の多様性に迫った、楽しい科学読み物です。
とても興味深く感じたのは、地球内生命の研究史です。著者によれば1980年代末に研究が始まったのだそうで、その歴史はまだ40年にも達していないわけです。さらに研究が飛躍的に発展したのは今世紀に入ってから、とのこと。まずサンガー法とPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)が登場し、次いで2006年ごろに454パイロシーケンシングという技術が開発されて、水や泥の中のDNAを随分と緻密に分析できるようになったとのことです(著者は「ふたつのDNA革命」と呼んでいますが、これは渦中の研究者ならではの盛った表現でしょう。技術革新といった表現が妥当だとは思います)。PCRは新型コロナで有名になりましたが、実は科学研究の最先端でも大きな力を発揮してきたのだと気がつきました(そういえば、警察の科学捜査にも役立っていると耳にしたような……)。
こうした技術開発が重要な理由の一つは、地球内生命の培養の難しさです。微生物にはとんでもない勢いで増殖する、というイメージがありますが、実はそうでもない微生物、培養がとんでもなく困難な微生物が結構いるのだそうです。そうした微生物の存在を明らかにするには近年の技術革新が不可欠だったわけで、地球内生命の研究は技術革新があってこそ開拓されたフロンティアなのだといえるでしょう。そして著者はその開拓者の一人となったことを心底楽しんでいることが、本書からは伝わってきます。
もうひとつ興味深かった点は、著者が熱力学の観点から地球内生命の意味を説明していることです。ギブスの自由エネルギーなどといわれても文系人間にはチンプンカンプンですが、我々が慣れ親しんだ酸素呼吸に比べると多くの地球内生命が頼るタイプの化学合成エネルギーは低出力で低速なのが特徴だ、ということはわかった気がしました。そんな低出力エネルギーの一つが「蛇紋岩化作用」にともなうエレルギーであり、それは地下世界にかなり普遍的に存在する可能性がある、との指摘には痺れました。
さらに、低出力エネルギーに頼っている地球内生命は増殖をほとんどせず、せいぜい壊れた部分を補修しながら生き延びているようだ、との主張には驚いた次第です。ひょっとすると数千年、もしかすると数百万年も生きている個体があるかも、というのです。いや~、生命の奥深さには感動です。
こうした先端研究の紹介と相まって本書を魅力的な読み物としている仕掛けは、著者の冒険譚です。コスタリカのポアス山という活火山の火口(地表の温度100度!)にある湖で、巨大なシリンジに酸性の湖水(pH0・85!!)を満たす作業の緊張感には、ハラハラドキドキしました。著者と現地の案内役とのやりとりが絶品です。
Q:噴火が起きたときはどう待避すればいい?
A:よくぞ聞いてくれた。待避の仕方はシンプルさ。この火口で噴火が始まったら、そっちを向いて絶景を堪能すればいい……
それがあなたの最期だからね
そして恐ろしいことに、著者たちが火口をあとにした54日後に、ポアス山は1960年以降で最大の噴火をしたというのです。いやはやなんとも。
ことほど左様にスリリングな現場に著者は望んで出かけていってる印象で(結構な研究費を調達しないといけないようなところでもあるわけで、理解できる気もするのですが)、その冒険心には恐れ入りました。
極めて個人的な蛇足をあえて付け加えたいのですが、本書を読んでいるうちに一度ならず思い浮かべたのは、半村良の伝奇SF小説「妖星伝」です。あの大傑作の世界観においては、普通の星では生命が「無機物で生きている」のに対し、地球は生命と生命が喰らい合う地獄のような星なのだ、ということになっています。書名の「妖星」とは地球のことであり、物語の中で地球は「ナラカ」(奈落=地獄)を呼ばれるのです。しかし本書を読んだところ、地球の地下世界は「妖星伝」のいう普通の星、あるいは補陀落(ポータラカ=天国)に近いかも、と感じたわけです。
振り返れば、「地下にもバクテリアは偏在しているとの主張」に初めて触れたのは、スティーブン・J・グールドの「フルハウス」(2003年ハヤカワ文庫、原著は1996年刊)だったと記憶しています。次いで、同書でも言及されていた論文をもとにしたトマス・ゴールドの「未知なる地底高熱生物圏」(2000年大月書店、原著は1999年)に触れ、さらにミミズなども視野に入れたデヴィッド・W・ウォルフの「地中生命の驚異」(2016年青土社、原著は2001年)に目を通して、地球内生命の存在は個人的には常識となってはおりました。ただ、実際にどんな生命なのか、という具体的な知識はあまりなかったので、本書はとても参考になりました。
そしてまた、ある意味で門外漢が書いたといえる上記の3書に本書が全く言及していないのは残念ですが、本書を読んで「妖星伝」を連想したのは、望外の喜びでした。
なお、原著のタイトルはなかなかの傑作だと思います。