・ナルコトピア(パトリック・ウィン著、加賀山卓朗訳、光文社、2025年11月30日初版1刷発行、3200円+)
・ミャンマーに数ある少数民族武装勢力のなかで最強と目され、東南アジアで有数の麻薬カルテルでもあるワ州連合軍(UWSA)の歩みを、人間ドラマたっぷりに描いた力作です。まさに知られざる現代史。大変に興味深く読みました。
主にミャンマーと中国の国境地帯にまたがって暮らしているワ人(和人でも倭人でもありません、念のため。現在の中国語では佤族と表記されます)は現在、総人口が120万くらいだとされています。うち、ミャンマー領内の特に山深い土地(いうなれば秘境ですね)を占拠し1989年に事実上の独立国家となったのが、UWSAです。いまや本拠地とは別に飛地まで「領土」として確保していて、支配下の面積は3万㎢に及ぶそうです。これはオランダ並みだとか。傘下の人口20万人ほどのうちおよそ3万人が兵士で、兵士の数だけみればスウェーデンを上回るというから、驚きです。飛行機を撃墜できるようなミサイルやドローンを保有し、その火力に比べれば悪名高いメキシコの麻薬カルテルも「ストリートギャングのレベルだ」と著者は評しています。
で、このUWSAの創設者で今も最高指導者であるパオ・ユーチャン(鮑有祥、1949~)や、いわばナンバー2だったジャオ・ニー・ライ(趙尼來、1940~2009)、財務と麻薬取引を取り仕切っていて実質的には最高実力者とも目されているウェイ・シューカン(魏学剛、1945?~)、UWSAが麻薬取引の覇権を握る前に麻薬王として世界的に有名だったクンサー(張奇夫、1934~2007)らの波乱万丈の人生に迫ることで、ゴールデントライアングル(金三角)ひいては東南アジアの激動の歴史の一端をあぶり出しています。
そのために著者は、DEAやCIAといった米政府機関の公文書や専門家の著書、様々な関連報道を渉猟し、元DEAの職員やタイ政府関係者らにインタビューして、歴史の細部を浮き彫りにしようと努力しています。
なかでも印象的なのは、ソー・ルー(Saw Lu、1944~2021)というUWSAの元幹部へのインタビューです。キリスト教徒で、麻薬取引に頼らないワ人社会の樹立を目指し続けた、いわばドン・キホーテ的な人物。それゆえ最終的にはUWSAを追われ、パオ・ユーチャンやジャオ・ニー・ライ、ウェイ・シューカンらに比べると知名度は低いのですが、UWSAの発展には随分と貢献したようです。で、この人物に対する長時間のインタビューが、本書のキモとなっています。
著者としてはパオ・ユーチャンやウェイ・シューカンにもインタビューをしたかったのですが、残念ながらそれは叶わなかったようです。また、中国語やミャンマー語、タイ語、ひいてはワ語の情報源には当たっていないなど、取材の難しさが色々と伝わってきます。ミャンマーにはほかにもたくさんの少数民族がいて、その動向が随分と波紋を広げているのですが、そこまで目配りできているとはいえません。また、金三角の全体像に迫ろうと思えばタイやラオスの動向も欠かせないはずですが、著者の取材はそこまでは行き届いていません。いろいろと自分で調べたくなる気にさせる本だともいえます。
さらにいえば、1989年のUWSA発足の前史、つまりはBCPの台頭と衰退、そこでの中国の役割、ミャンマーの中央レベルでの政治的な変化、他の少数民族勢力の動向などに関する知識が、本書を読むには必要かもしれない、と感じました。バーティル・リントナーやマーティン・スミスの著作などに触れておく必要があると思うのです。ただ、リントナーの仕事もスミスの仕事もほとんど邦訳されていません。これは困ったものだと思います。
日本はミャンマーと複雑な関係を築き、随分と援助もして、それなりに専門家も育っているはずなのですが、いかんせん、少数民族問題や麻薬問題、中緬関係などについてこれといった邦文の仕事を目にした記憶はありません。日緬関係についてさえ、しっかりした著作を見つけるのが難しいのが実情です。今更ながら、日本の学界なりジャーンリズムなりの力不足を思い知ったような気分に陥りました。
さて本書によると、いまやUWSAはヘロインではなく合成麻薬メタンフェタミンを主に取り扱っているそうです。それどころかウェイ・シューカンは、世界的にみた場合に麻薬産業の主流を植物由来の薬物から合成麻薬へと転換させた先駆者だったというのです。
一方でUWSA自身は、麻薬の製造を新興勢力などに任せ、自らは流通の制御と製造拠点向けの用地開発・提供を軸とするビジネスモデルへの転換も進めてきたそうです。いずれもメキシコの麻薬カルテルの変貌と似たところがあって、興味をそそられます。用地開発・提供を軸とする不動産屋ビジネスモデルは、近年のオンランイン詐欺の拠点向けにも威力を発揮したのではないか、とも妄想しました。実際、著者はUWSAが近年ITに力を入れていると紹介しています。
さらにいえば、足元の米中間の懸案である合成麻薬問題に、金三角が関わっている可能性があるのではないかと考えます。トランプによれば習近平は対処を約束したらしいですが、果たしてどう対処するのか、そこに金三角はどう絡むのか。関連情報はほとんどないだけに、気になります。
ともかく、金三角を軸にした犯罪ネットワークには、今後ますます注視しなければならないと考えます。本来であれば、世界の警察当局が緊密に情報交換し連携を深めるべきなのですが、日本と中国の当局間の連携さえ停滞しているようで、困ったものです。
本書を読み通してつくづく感じたのは、ヒトの愚かさです。中国共産党への反攻のため金三角を麻薬の生産・販売拠点に変貌させた国民党の残党たち。それを後押しした挙句「麻薬戦争」の発動に追い込まれた米国。ミャンマーに共産主義を広げようとしてビルマ共産党(CPB)を支援し続けた中国共産党政権……。本書にはほとんど登場しませんが、ミャンマーの軍人たちが愚かなことは、言うまでもないでしょう。
なんといっても愚劣で醜いという印象を受けるのは、米国の官僚組織が繰り広げる縄張り争いです。DEAとCIA、そして国務省の足の引っ張り合いには呆れてしまいます。特にCIAについては、「あらゆるCIAのスキャンダルの背後には、つねに大局的観点からの言いわけが存在する」との文章が示すように、著者は相当に批判的です。そういえば、メキシコ麻薬戦争を描いたドン・ウィンズロウの大河小説3部作も、どちらかといえばDEAに好意的で、CIAには批判的だったような記憶があります。まあ分かりますが。
対して中国は、CPBへの支援をやめてからは徹底して実利主義で取り組み、それなりに成果をあげてきたといえるでしょう。実はUWSAはCPB内のワ人勢力が独立して生み出した組織です。本書は必ずしも明確に指摘していませんが、中国はCPBへの支援を縮小・停止した一方で、後継組織とも言うべきUWSAに対しては支援を続けてきました。中国領内への侵攻と中国領内への麻薬の輸出さえしなければ干渉しない、それどころか武器など必要な物資は売却する、という姿勢で臨んできたのです。だからこそUWSAの兵力はいまや強力なものになったのです。逆にいえば、UWSAは生命線を中国に握られてしまった観もあります。
こうして中国はミャンマーの少数民族武装勢力を手懐けてきました。そしてこれは軍事政権に対する(民主的な政権に対しても)強力な梃子となっています。2023年に一部少数民族勢力が始めた1027作戦では中国製のドローンが大きな効果を発揮したとされ、実際には中国が後押ししていたとの見方が有力です。だからこそその後、軍事政権は中国が強く求めてきたオンライン詐欺拠点の摘発を大々的に始めてみせたのでしょう。そして軍事政権が中国の意向に従ったのを目にしたうえで中国は2025年後半から、少数民族勢力に圧力を加えて軍事政権に褒美を与えました。
こうした流れのうえで軍事政権のスポークスマンはいつぞや、高市首相の台湾をめぐるコメントについて「日本は歴史の教訓を学んでいない」などと批判してみせました。もはや中国のポチです。茂木外相はかつてミン・アウン・フラインとにこやかに握手したこともあるのですが、こうした軍事政権の動向を踏まえた対ミャンマー政策の練り直しが求められているはずですが、それらしい動きは日本政府内から全く聞こえてきません。日本のメディアからも意味のあるコメントは聞こえてきません。
なお、本書にはときに、納得しがたい文章も散見されます。たとえば1988年のクーデターで発足したミャンマー軍事政権でキン・ニュン第一書記が「独裁者」だったとの評価です。私の知る限りでは、彼は確かに情報部門のトップとして絶大な権力を握っていましたが、軍の中での地位ではトップのタン・シュエとNo.2のマウン・エイに最後まで及びませんでした。そして軍こそは軍事政権の権力中枢ですから、キン・ニュンが「独裁者」だったはずはないのです。著者は米情報機関などが半ば政治的な思惑で歪んだ情報を流布させていると指摘しながら、ミャンマー軍事政権の権力構造については歪んだ情報に引っ張られているように感じました。
とまれかくあれ本書は、金三角に関する本としては稀にみる力作であり、とりわけUWSAに関する仕事としては貴重でしょう。
なお、著者はNPR(米公共ラジオ)の「ザ・ワールド」特派員を務めているそうです。NPRといえばトランプが資金打ち切りを表明したという記憶がありますが、今はどうなっているのか、心配ではあります。
本書は直接に触れていませんが、読んでいると日本の関わりが随分と気になりました。かつて日本軍が仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐し、ビルマにも侵攻したことは周知の通りであり、その影響はなんらかの形で金三角にも及んだはずだからです。1940年からの仏印進駐、1945年の仏印処理、そして敗戦へと至る流れと、その後の東南アジア情勢の展開は、日本人としてしっかり理解したいものだと考えた次第です。