レナート ラッティ:バローロ(ロッケ)マルチェナスコ 1983 その2 | 古きイタリアワインの魅力を読み解く

古きイタリアワインの魅力を読み解く

イタリアンワインガイド ガンベロ・ロッソ 1988-1989
イタリアワイン界に多大な影響を与えるガンベロ・ロッソ Gambero Rossoですが、この初期(1988や1989当時)のレアなイタリアワインと古酒の数々を、掘り下げて解説します。

Vini d'Italia 1988 Gambero Rosso Vol. 49
Renato Ratti-Barolo (Rocche) Marcenasco 1983 その2

 

残念ながらあれだけRattiが心血を注いで解析した『クリュ』は未だ精査されていません。ブルゴーニュに比べ、未開発地域の多かったバローロ。昔は森林や無用地だった場所、条件の悪い北向き斜面がマッハで開墾され、続々と作付面積が増えています。それがクリュとカウントされない場所であればまだしも、そのクリュ内の森林や無用地の開墾も行われています。

必然的にクリュ境界線も定かでなくなります。最近は日に日に肥大化しており、更に昨今の造り方の変化も加担し、私の様な旧タイプの人間が試飲すると首を360度捻りたくなるようなバローロも多数存在する事は事実です。且つMarcenascoの様に、慣例的な呼び名とConsorzioの呼び名の違いや、広義と狭義の差など、現存する呼び名でさえも定まっていないのが現状です。
 

但し、我々ソムリエやワイン愛好家がここまで畑地図やGoogleを広げ、やいのやいのとミクロクリマを語るのは、広いイタリアでもここだけでしょう。これだけの意識を植え付け、従来の造り方への見直しという一石を投じた事、腰の重い中央への働きかけを積極的に行ったBarolo代表・スポークスマン・研究家としてのRattiの功績は非常に大きいと思います。

 

Renato Ratti唯一の弱点が買いブドウでした。残念ながら当時の自社畑はさほど大きくなく、70~90年初期まで80~90%のブドウを契約農家からの購入ブドウが占めていました。更にR.Rattiが88年、道半ばにしてご逝去されます。多数の契約農家が若い息子Pietroに跡が継げるかと心配した時期があった事は事実で、一時はめっきりと調子を落とします。但しPietroの考えを基に、買いブドウ中心から自社栽培に切り替え、自家所有の畑・或いは自社による賃貸畑を管理・栽培してのブドウがほとんどとなり、最近では本当に見事な復活を遂げています。

 

実は実家近所の酒屋に飾ってあったのは先回ご紹介したTignanello85と、RattiのMarcenasco85です。

Tignanello85と同時に大枚はたいて買ったのがこれ。これも講談社の『世界の名酒事典』で予習してから、ドキドキで出かけます。なので当時は読み方も分からず発音していた『てぃぐなれっろ』はもとより、『ろっちぇ まるせなすこ』と『まるせなすこ』の味の違いは全く分からずとも、『ろっちぇ付き』と『ろっちぇ無し』の価格の差だけはよくわかっておりました。『ろっちぇ無し まるせなすこ』でもこれだけの価格かと、本当にそろそろと酒屋から持って帰った事を良く覚えています。粗相があっちゃいけない、なんせ『ワインの王様』ですから。

 

渡伊して間もなくミラノのEnoteca Cottiに出かけ、あの親父さんに好きなワインの一つに『らってぃ、ばろーろ、まるせなすこ』とたどたどしくも頑張って答え、結果えらく気に入られました(親父さんがバローロき○○○とは知らず。因みにボルドーとかブルゴーニュが無いかを頼んでみたり、好きなワインだと答えてみて下さい。面白い事が起こります)。それからは隠しアイテム購入OK客に仲間入り(そんなシステムがあったのです。これが後にL.Sandroneに繋がります。)。

但し、私の名前は発音面倒で憶えてもらえず、通称『Ratti』。
駆け出しのソムリエがバローロの父の名をあだ名にするなど、まあ恐れ多い事。

 

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