テヌータ サン グイド:サッシカイア 1983 その1 | 古きイタリアワインの魅力を読み解く

古きイタリアワインの魅力を読み解く

イタリアンワインガイド ガンベロ・ロッソ 1988-1989
イタリアワイン界に多大な影響を与えるガンベロ・ロッソ Gambero Rossoですが、この初期(1988や1989当時)のレアなイタリアワインと古酒の数々を、掘り下げて解説します。

Vini d'Italia 1988 Gambero Rosso Vol. 14

 

Tenuta San Guido-Sassicaia 1983 Vol.1

 

 1988年版TreBicchieriワインに因んで、今回はTenuta San Guidoです。

皆さん、よくよくご存知とは思いますが、ちょっと古い話も含めてお書きします。

まずこのワイン、存在自体が実にヨーロッパらしい優雅な偶然と必然に溢れた出会いから生まれています。そこから書いてみましょう。

実は、Sassicaia誕生のキーワードは『馬』。

未だにTenuta San GuidoのHP、二つ目の項目は『厩舎』。その歴史はワイン造りよりも昔から続いているのですから。

 

 創始者のMarchese Incisa della Rocchettaは紛れもない侯爵(Marchese)です。彼の本拠地ボルゲリは海に近い湿地帯で、そこに広大な領地を占めていました。彼は貴族の嗜みの一つとして欠かせない乗馬が好きで、そこは湿地帯ならではの水の利便を利用して競走馬や競技馬の育成地として国内で非常に有名でした(今でも彼の名を残した記念競馬レースがあります)。

 やはり貴族の嗜みとしてワイン好きでもあった彼は、趣味の乗馬を通じてボルドーのロートシルト一族と仲良くなります。特に彼のワイン『ラフィット』をこよなく愛し、定期的に彼の家へ運ばせる仲にまで。第二次世界大戦の影響と敵国間貿易の禁止により、彼の愛するラフィットがイタリアに届かなくなった際、事態を憂いた彼は自らのワイン造りを決意、ロートシルト家からラフィットの苗木をもらって彼の馬の放牧地に植え、イタリアで彼の好きなワイン『ラフィット』を造ろうと決意したのがSassicaiaの始まりです。但し目指すはラフィットなので、全ての工程をラフィットから教えてもらった通り忠実に再現し、自己消費目的なのでDOC基準、土地範囲も葡萄品種も醸造基準をはなから無視。

 さて、ちょっと想像しました。例えばDRCと知り合ったら、DRCの苗木を植えていたか?

 

 これが、なんともヨーロッパらしい偶然と必然ですね。知人がフランス・ボルドーの貴族だった事、ボルゲリの気候がボルドーに瓜二つだった事(両地方を訪れた事はありますか?両者共に海が西側、水が近い蒸し蒸し具合、ドヨンと空気が重い、土壌の質、本当に良く似ています)。更に第二次大戦以前、ボルドーに比べブルゴーニュ生産者は農家中心。仮にDRCと知り合ったとしても、ボルゲリの土地特性を知れば、ためらいなくボルドーを紹介したであろうと思われ、その中でも馬好きのロートシルト一族を紹介したのではという事。ここに両者が出会い、このワインは生まれる偶然と必然に導かれたのでしょう。

 その後の話、Incisa della RocchettaとAntinori、エノロゴの『ジャコモ・タキス』の話は、AntinoriがIncisa della Rocchettaの自家用ワインの高品質に驚愕し、持ち前の商才でビジネス・販売の話を持ちかけ、質の安定と生産本数を増やす為にジャコモ・タキスに面倒をみさせた、というのが実情でしょう。78年の英『Decanter』誌の試飲でSassicaiaが一位になったのは、Antinoriが一連のAntinoriワインと共にSassicaiaを試飲アイテムとして送り、売り込んだから。ロートシルト一族との出会い、ボルゲリの土地特性、Antinoriの根回し、タキスの面倒。Sassicaiaの成功は『馬』が取り持った様々な偶然と必然から生まれ、Incisa della Rocchettaの生前の願い通り、イタリアのラフィットとなり、ボルドーのシャトーと同様に、確固たるワインビジネスの成功者となったのです。

 

次回はSassicaia旧ヴィンテージの感想などをお書きします。