噴火のニュースには驚きました。
なぜなら、私はその数日前に、穏やかで美しい桜島を眺めていたからです。
今回の目的地は、ここ、江戸時代後期から続く黒酢づくりの里、霧島市福山町、
見渡すかぎりの薩摩焼の壺畑です。
この壺の中に米麹(蒸米に麹菌を育てたもの)を敷き、
蒸米、湧水を入れ、最後にまた麹を振り入れて仕込むそうです。
後は太陽の光を浴びて1年以上の時間をかけて、ゆっくりと発酵、熟成、
その結果、味わい深い黒酢が出来上がります。
坂元醸造http://www.kurozu.co.jp/tsubobatake/の資料館&レストランで、
1年、3年、5年熟成の黒酢をお味見させていただきました。
熟成年数とともに黒さが増し、酸味の方はまるくなるというか、より旨味が加わって複雑な味になっていくようです。
遠くに桜島を臨み、壺畑を眺めながら、黒酢と相性の良い中華料理はとっても美味でした。
もう一つ目的地は、宮崎県都城市の霧島酒造http://www.kirishima.co.jp/
さすが本格焼酎の最大手だけあって、工場の規模も大きい。
薩摩焼酎っていうくらいだから、生産量は鹿児島が一番?って思いがちだけど、
実は、霧島酒造のある宮崎県が一番なのですってね~
工場の敷地にはガーデンパークがつくられ、レストラン、ベーカリー、スポーツ文化施設まであって、地域に開放しています。
焼酎の原料になる霧島裂罅水(れっかすい)も、開園時間中は自由に汲むことができます。
焼酎の製造工程は、まず、米麹と酵母と水で一次仕込みをします。
そこに、蒸して砕いた芋と水を入れて二次仕込み。8日ほど経過すると、アルコールのほのかな香りが漂う醪(もろみ)ができます。 それを蒸留機にかけ、最終的に約37度の原酒ができるそうです。その後、こちらの工場では、こんな大きなタンクに貯蔵し、ゆっくり熟成させるということです。
ブランドによって、熟成期間も違うらしいですが、若いほどシャープな味、年数をおいた方が旨味が出て複雑な味なるなんていうのは、黒酢の場合もそうでした。
~「熟成」って不思議~
実際どんな化学反応が起こっているのか、企業や大学の研究者たちが今までずっと研究してきているテーマですが、まだまだ未知なことも多い分野であるようです。
人間だってそうではないですか?
若い頃尖っていた人が、いろいろな経験を経て、味のある人柄に成熟していく過程のようです。
複雑な味、そして、色も無邪気な無色から腹黒(^^;)の黒さを増すところなんか、ね。
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あまりにも久しぶりなので、ブログの書き方、記事の作り方を忘れてしまったような気がしますが、夫が海外出張中、今日は娘たちもバイトや部活の同窓会などで留守で、一人のんびり^^
鈍ってるので上手く書けるかどうかわかりませんが、良かったらお付き合いくださいませ。
実は、この夏、はじめてカナダに行ってきました。
ブリティッシュコロンビア州の州都のビクトリアに1週間ほど滞在しました。
ビクトリアとは、もちろん大英帝国ビクトリア女王。
州議事堂の前に立つ銅像は、お若くすらりとした美しい女帝でした。
(イギリスのウィンザー城前の銅像は貫禄のあるお姿ですが)
ビクトリア湾にはアメリカのシアトルからのフェリーも来ていました。
ブリティッシュ・コロンビア博物館
特別展示のテーマはゴールドラッシュ、
19世紀に一獲千金を狙って人が集まった様子などを展示。
ブッチャート・ガーデン
ビクトリア中心部から車で小一時間のところ。
セメントの原料である石灰岩の採掘場跡地に、
セメント工場で財を成した資産家の奥様が造り上げた大庭園です。
ビクトリアではアフタヌーンティーも人気です♪
最後はブリティッシュコロンビア州最大の都市バンクーバー
バンクーバーは北米大陸にあり、ビクトリアはバンクーバー島にあるため、バンクーバー空港とビクトリアの間はバスとフェリーで移動しました。
ビクトリアは、あれ?ここってイギリス?ってしばしば錯覚を起こすくらいイギリスっぽい街。そうそう、イギリス以外で最もイギリスらしい街といわれるニュージーランドのクライストチャーチにも似てたかな。 両者との違いは右側通行、羊が見当たらないこと、アジア人がとても多いこと(半数近くがアジア人という感触でした)ですね。 バンクーバーはもっと多い感じ。 もちろん日系人も多いはずなのですが、日本食レストランがいくつか店じまいしていたり、お寿司屋さんが韓国人経営になっていたり、短い滞在ではお会いできませんでした。
今回の旅行は特にテーマは無かったのですが、やはり新しい土地を空気を肌で感じるのは楽しいですね。
みなさんもこの夏どこかにでかけられましたか?
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思い続けていた富岡製糸場に、先日やっと行くことができました。
↓この記事「トレハロースとスクラロース (どっちが人工甘味料?)」
http://ameblo.jp/brunn/entry-10477027592.html
は4年半も前のものですが、現在休眠状態に近い私のブログの今でもアクセスの多い記事の一つで、たまに読み返すこともあります。
ここでコメントを下さった方の大半は、今はブログをお休みしてしまっている様子です。でも、このコメント欄でのやりとりで、富岡製糸場やコンニャク芋についての話が出ていたのを思い出し、群馬県へ日帰りの旅に出かける直前にもう一度読んでみると、良い予習になりました。
やはり、今年6月に世界遺産に登録されて認知度が上がったせいか、急に観光客が増えているようですね。本当はそうなる前に個人旅行で行きたかったのですが、なかなか実行に移せなかったので、今回はとにかく手軽で効率の良いバスツアーを利用することにしました。
さて、実際に到着してですが、
やっぱり富岡製糸場は混雑してました。^^;
正門
東繭倉庫の入り口
アーチのキーストーンには創業の「明治五年」の文字
「木骨レンガ造り」 の建築
操糸場
「トラス構造」とういう従来の日本にない建築工法
柱がないので広い空間が利用可能
フランス人技師ポール・ブリュナの指導のもと西欧技術と在来技術を結集した建物が作られ、
操糸器などはフランスから輸入されたそうです。そして、明治政府が作った官営工場の中で、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけです。
レンガは瓦職人が窯を築いて作り、レンガのつなぎにはモルタルの代わりに漆喰が使われたと聞いて、
その後に訪ねた富岡のお隣、下仁田のコンニャク製造工場
と、私の中ではつながりました!!!
コンニャク芋
コンニャク芋を蒸して潰して、遠心分離機でデンプン質とグルコマンナン質に分離
グルコマンナン質を糊状にして、消石灰(水酸化カルシウム)を混ぜて凝固
先ほどの漆喰も主成分は消石灰です。
どうやら、下仁田は石灰石(炭酸カルシウム)の産地のようです。
炭酸カルシウムは加熱乾燥すると炭酸が抜けて生石灰になり、生石灰が水と反応すると消石灰になります。
ちょっと探してみたら、こういうブログを見つけました。
白石石灰採掘場http://yamada.sailog.jp/weblog/2014/04/post-5324.html
また、
こんな興味深い巨大小屋も...
炭酸カルシウム乾燥小屋http://yamasai.com/19990218.html
次回は是非実物を見てみたいものです。
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久しぶりの更新です。
お休みしている間に購入した新しいタブレットPCに慣れるため、今回ブログ記事を書くのに使ってみることにします。
実はこの夏、少し仕事絡みもあったのですが、10日間ほどイギリス旅行を楽しんできました。
せっかくなので、目的地ノーフォーク州に行く途中でどこか科学者のゆかりの場所を訪ねようと、リンカンシャー州の田舎村にある
アイザック・ニュートンの生家 Woolsthorpe Manor
に寄りました。
そこで、「リンゴが落ちる様子を見たことが万有引力の発見に結びついた」と物語(事実であることを示す物証があるわけではないらしいので)にされている有名なリンゴの木を見てきました。
私の方のここを訪ねる至る物語もあります。(こじつけてます。笑)
夏休みに入る直前に、現在、日本でポスドクをしているある進化生物学者の英国青年と知り合いました。
彼が最も好きな科学者は、当然のごとく?チャールズ・ダーウィン です。 彼は科学に興味のある高校生たちに興味深いお話してくださったのですが、
「ダーウィンは家族を大切した人で良い人だった。有名な科学者の中にはそうでない人もいる。例えばニュートンは良くない人だった。」
とつぶやいたのが印象に残りました。
私も以前からダーウィンの大ファンです。
20年以上も前にダーウィンが晩年を過ごしたケント州にある家を訪ねたことがありますし、5年前にはダーウィンの生まれた街も訪ねて、こういう記事も書いています。
(このブログを始めたばかりだった頃です。
もう5年も経つのですね!びっくり!)
適者生存
子供のような心
Charles Darwin 2009
さて、ニュートンに話を戻します。
1642年12月25日に生まれる。生まれた時には、地元の名士であり羊農家を営んでいた父が亡くなって3カ月後であった。母が3歳の彼を残して再婚したため、祖母に育てられる。神童だった彼は、グランハムのグラマースクールに進学。再婚相手が亡くなり、羊農家を続けようと父親違いの子供3人とともに戻ってきた母親はニュートンにも手伝わせようとしたが、彼には農業は向かず、父親の親戚の勧めもあり、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに進学。そして、数学者としての才能が開花しつつあったとき、ロンドンではペストの大流行で、大学が閉鎖。ニュートンはこの家にもどって過ごすこととなる。
しかし、奨学金が得られ、大学の雑事からも離れられたここでの1年半ほどの間で、近代科学の礎となる万有引力の法則などが発見された。
というわけです。
(家の壁には何か線形図形を表すような落書きも残っていました。)
ニュートンがなぜ良くない人と言われるのかは、猜疑心が強い性格で、他の学者が自分の発見を盗んだとよく揉めていたこと、優秀な科学者でありながら、錬金術やオカルト的なものも研究していたこと。晩年は王立造幣局の長官となり、金の亡者?みたいな人になってしまったことでしょうか。また、彼は生涯独身だったそうです。
私はつくづく思うのですが、有名な偉人の伝記って、あまり美化しないで、このように変で嫌な面もあったことをちゃんと伝えてほしいですね。
そうであっても、偉大な業績の価値が下がるわけでもなんでもないのですから。

玄関のドアの上の骨のマークは羊の骨だそうです
これがそのリンゴの木です!種類は
Flower of Kent と呼ばれるものです。
これはお土産として買ったリンゴの木でできたリンゴです。
この近所に植えられているBramleyの木だそうです。
イギリスの子供たちに大人気のイラストレーター
Quentin Blake が ケンブリッジ大学開学
800周年記念に寄贈したイラストです。
やっぱり、文字入力はタブレットPCだとやりにくいです。
かなり時間かかって疲れてしまいました。(汗)
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