キャラの使い分け? のつづき
持って生まった人格特性を内キャラ
対人関係において意図的に演じられるのが外キャラ
今回は内キャラについてです。
現代の日本では、人々の物質的な欲望はほぼ飽和状態に達し始めています。私たちは物質的な欲望に代わって、個性つまり内キャラの探求が新たな欲望となりつつあるのだと言われても不思議はない気がします。
なぜなら
様々な価値観が競合していて、どんな判断も別の観点からすぐに相対化されてしまう不安定な動的な社会においては、個性つまり内キャラは、まさに絶対的な心の拠り所だからです。本来相対的なものであるはずの個性が、人々の内閉的な世界では絶対的なものとして感受できるのです。
今日の若者たちは、「自分はどこへ行くのか?」ではなくて、「自分はどこから来たのか?」の方に興味があり、トラウマ体験を幼少期の記憶に求めて精神分析を受けるように、自分の根源を探す旅にエネルギーを注ぐ傾向にあるそうです。
ブログなんかでも、「個性的な私を見て見て~私って特別よ~♪」って感じのが(特に若い人に)多いですよね。
また、子育てブログだと「うちの子の、この個性を伸ばしてあげることこそ親として愛情」みたいな・・・
別に悪いことだと言ってるわけじゃないです・・・自分だってそう思われてるかもしれないし(*^.^*)
こういうタイプの自己顕示欲も、この著書によれば、ネット社会のような現代社会で生きるの人々の心性を表すものとして捉えることができそうです。
(自己顕示というと、外向きのイメージだけど実はそうでもないという話は、次の機会に回しますね)
「日本の若者よ海外に出よ!外の世界を見よ!」
といくら周囲の年配者がはっぱをかけても、若者をこういう内向き志向にしてしまう日本の現代社会そのものの問題に目を向けなければ、なかなか効果は上がらないのではないでしょうか?
「そんな悠長なことをしてはいられない、中国や韓国に抜かれ、日本という国は衰退してしまう!」
と周囲がいくら叫ぼうが、これが現状なのですから、まずは現状をしっかり把握しなければならないと思います。
それには
キャラ化する/される子どもたち と同じ著者の本ですが、これもおススメです。
「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)/土井 隆義
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個性の捉え方が内閉化している一方で、若者たちの人間関係が非常に重くなってきている現象については、また、そのうち書きたいと思います。