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↑老眼の人はそのままで、

そうでない人は目を細めてぼやっとみてください。

グレーに見えますか?

これはホントのグレーです。



人も物事も多面性があるから、なかなか白黒はっきりなんて、

判断できるものではない。」


って、私たちは、いつ頃から考えられるようになったのでしょうか・・・


何歳頃からかなんて、生まれながらの性質、育った環境、経験の豊富さ で違いが出ると思いますが、誰もが成長とともに経験を通して体得していく技術だと私は思っています。


人によっては、大人でも 「白黒はっきりさせなきゃ気が済まない!」

と思われる方もいらっしゃるかと思います。


それって、多面性があることは承知の上で、自分は、どちらの立場かはっきりしておきたい、または、せざる得ないという場合と

本当に、白黒はっきりでしか物事を考えられない場合とがあるのでしょうか。


まぁ、これって、時と場合、その案件によって違ってくるのでしょうが、それぞれの様々な思惑が入り込んでくると、ますます白にするか、黒にするかで対立が起こりそうです。


私は、いつの頃からか、自分の物事に対する見方のグレー部分の割合を、臨機応変に変化させられるようになりました。これって、(無意識に)自然にできるようになった面もあるのかもしれませんが、意識して学んできた結果だと感じています。(もちろん、人によっては自然にできるようになったという方もいらっしゃるでしょう。)


どういうことかというと、これも しーたさんの記事 を読んでいて気がついたのですが、

人(物事)のこの部分は白、その部分は黒、あの部分は白、でも、残りの部分は黒、などと、いろんな経験を通して判断し、分割をどんどん細かくしていった結果、全体的にぼや~っとグレーになったってことなんじゃないかと、思い当たったからです。


グレーというと、あいまいでわかりにくい、白黒どちらにでも解釈もできる、ずるい立場だと思われがちですが、ちっともそんなことはないのです。

よ~く見てみると、グレーは一色ではなく、細かい白黒の集まりで、焦点を絞れば、それぞれの部分の白か黒かははっきりしているのですよ。


何が言いたいかというと・・・(;^_^A

それはそれ、こういう場合はこうと、同じ人物(物事)の中でも、

部分や場合によって分けて考え、それぞれの白黒を独立して判断した上で、総合的に評価することが大切だと言うことなんです。例えば、オセロの駒みたいに、1個の駒が裏返ることで、その周辺の駒がドミノ倒しのように裏返ってしまうようなことでは、「本質」からかけ離れてしまう危険性があるということです。(そういう現象を引き起こして物事を複雑にしてしまう原因は「感情」でしょうか)


そして、

自分で考え、自分の意見をしっかり持ちながらも、他人や物事について柔軟に受け入れられる人というのは、このような技術を身につけている人ということではないか?と、ふと思ったわけです。

 

この文章は、しーたさんのどうして対立してしまうのか の記事からも、アイデアを頂きました。


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