2016年2月28日(8年前)
☆☆☆ 一週間は早いですね!! 今日は日曜日、「真田丸」の日ですね!!☆☆☆
皆さん、こんにちは、2月最後のSundayもまずまずの天気になりましたね。 また、Every Sundayは「真田丸」の日ですので、ここで今夜8時から放送される第8話「調略」のあらすじをご紹介しますので、放映前に軽く目を通してくださいね。 今回も、見所がいっぱいありますのでお見逃しなく!!
NHK大河ドラマ『真田丸』第8話「調略」の放送日
2016年2月28日(日)NHK総合:午後8時~、BSプレミアム:午後6時~
NHK大河ドラマ『真田丸』第8話「調略」のあらすじ、ネタバレ
神流川の戦いで滝川一益(段田安則)に勝利し勢いづく北条家に徳川家康(内野聖陽)は脅威を感じていた。
家康の側室である阿茶局(斉藤由貴)がなだめても落ち着かない様子。
だが家康の家臣である本田正信(近藤正臣)は北条家が北上している今こそが甲斐を攻略するチャンスであると家康を説得します。
家康は落ち着きを取り戻し、北条家への対策について考え始めることにした。
一方で上杉家ではなく北条家につくと決めた真田昌幸(草刈正雄)。
そのための手土産と上杉家の家臣である春日信達を調略するために弟・信尹(栗原英雄)と真田信繁(堺雅人)を上杉へと送りこんだ。
進まぬ調略
春日信達は天下に通じる豪傑として有名ではあったが、上杉景勝(遠藤憲一)からは海津城の守りしか任せられぬことに不満を抱いていることに信尹は調略の糸口があると考えていた。
海津城に乗り込んだ信尹は信繁を実の子供である信春と偽り紹介し、信達にこう説いた。
「春日が武田家に縁が深い者であったから重用されないのだ」と。
そして信尹は続けて、真田家は北条家へと属したこと、信達も北条家へとつくように説得する。
しかし信尹からの誘いを信達はあっさりと断る。
あまりにあっさりと断られたことで調略は難しいと考えられたが、当の本人・信尹は脈ありだと考えていた。
ここまであっさり断ったのは心揺れ動いている証拠である。
むしろ誘いを本当に断るのであれば話を受けたふりをして景勝に密告するはずだと考えていた。
あと信達の調略までもう少しというところで信繁は最後の一押しは自分にやらせてほしいと信尹に頼む。
しかし信繁の理詰めの説得は信達の心を反対に閉ざしてしまう結果となってしまった。
中々思うように調略が進まない中、北条家は川中島へと兵をすすめるために戦の支度をしていた。
調略の結果は出ていないが、今が窮地であると判断した昌幸は調略を待たずに北条氏直(細田善彦)に会いに行くことを決めた。
北条家へ取り入る昌幸
一益を倒してからの北条家の勢いはとどまるところを知らなかった。
信濃の国衆を次々に支配していったのだ。
一方で岩櫃城で城の守りを命じられている真田信幸(大泉洋)は昌幸の考えを知らぬため、真田家は上杉につくので北条家と戦をするものと思い込んでいた。
そんな信幸の元に知らせが届く。
「上杉を見限り北条家へとつく」と。
その知らせに信幸はただただ唖然とする。
氏直の元へと向かった昌幸であるが予定していた時刻から大幅に遅れて到着する。
これを快く思わぬ氏直は昌幸など相手にせぬ様子で接する。
昌幸はここで氏直の気を引く為、信達を味方に引き入れたと伝えた。
もちろん信達を引き入れたというのは今は調略の真っただ中であるためハッタリであった。
しかしそのような調略なしでも上杉には勝てると氏直は昌幸の話に興味を示さない。
そんな中、氏直の父・北条氏政(高嶋政伸)がやってきた。
氏政は若くして自分の後を継いで天狗になっていた氏直を戒める意味を込め、たいして知らぬ昌幸を大げさにほめ始めた。
これはチャンスと昌幸は氏政に対しても信達を仲間に引き入れたことをアピールする。
氏政は「戦が楽に終わることにこしたことはない」と昌幸を褒めたたえる。
昌幸は信達に海津城をあたえることを約束する旨の手紙を書いてもらえないかと氏政へと願い出、氏政はこころよくこれを快諾するのであった。
これは本当に調略を成功させるための昌幸の策でもあった。
氏政が偶然ではあれ味方してくれたこともあり、会談は昌幸の思うままに進んだが昌幸はこの会談でもう一つの大きなものをつかんでいた。
「氏直は人の逆を言う天邪鬼な性格だ。」
氏直という人間を把握したことは昌幸にとっては大きな収穫となった。
信達を調略
北条軍は約3万もの大軍で上杉攻略を開始した。
対する景勝は7千の軍勢で海津城にて北条を迎えうつ。
昌幸が北条家へと寝返ったとの知らせが景勝の元へと届き、弟である信尹はたいそう責められる。
厳しく責められた信尹は景勝に対し、上杉を裏切った兄には愛想がついた、信繁と共に越後に骨をうずめる覚悟だと景勝へと伝える。
その心意気にたいそう喜ぶ景勝だが、家臣の直江兼続(村上新悟)は信尹を疑っていた。
北条軍が攻め入るまでに時間がない信尹は信達を調略を急ぐ。
上杉家にいても城代止まりである、北条家が勝利すれば海津城は信達のものになると信達を説得したのであった。
いよいよのところであの信達は北条家へ付くことを承諾した。
真田家という信濃の一大勢力をも味方につけた北条家は上杉家と相まみえるために川中島へと陣をひいたのだった。
戦わずして勝った昌幸
千曲川で対峙した上杉、北条両軍は開戦までいよいよといった状況となっていた。
そこに上杉の兵が予想よりも大幅に多いという情報が地元漁師から氏直の耳に届く。
7千といわれていた兵士の数だがどうやらその2,3倍はいるそうだ。
その漁師からの情報とは変装した佐助であった。
室賀正武(寺島進)も近くにいたものの佐助の存在に気が付かず、その情報を信じている。
そして千曲川の対岸には磔にされた春日信達の姿があった。
上杉軍を海津城の信達と北条軍とで挟み撃ちする作戦が脆くも崩れ去ってしまったのだ。
昌幸は信達が北条家へと寝返ったことが上杉にばれてしまったのではないかと弁明する。
状況は厳しくなったものの昌幸は「戦には勢いが大事」と氏直へ開戦するように促した。
しかし、人の助言の逆をいく性格の氏直は昌幸の提案を却下し、徳川家が甲斐へ攻め入っているという知らせが入ったと嘘をつき兵を退くと皆に告げて去っていった。
氏直へ取り入るための調略や提言がすべて失敗したことを正武にあざ笑われる昌幸であったが、これはすべて昌幸の描いた絵の通りであった。
昌幸は自分の提言することは聞かぬという氏直の性格を逆手にとり、北条家を信濃から退却させることに成功したのだ。
実は信達を殺したのは調略を仕掛けていた信尹であり、今回の背後から挟み撃ちにあうかもしれぬという危機から景勝を救ったとして恩を売ることが目的であったのだ。
氏直が退却すると景勝は家臣の反乱を鎮圧するために越後へと退却していった。
昌幸は上杉家、北条家両家ともと戦わずして信濃を守ったのだった。
昌幸は上機嫌で真田の郷へと戻ってきた。
すべて狙い通りにことがはこんだことに喜んでいる様子だ。
そして、息子たちにこう宣言した。
「信濃は信濃の国衆が収める。大名などいらぬ。」
昌幸は誰にも属さぬ自分たちの国を作りたいという大きな野望を持っていた。
しかしそんな大きな野望の前に立ちはだかる男がいた。
その者ことそがのちに天下を治める
ことになる徳川家康であった。
*上記Picは、昨夜、東京から来店された、 BRUINのOfficial Websiteを作成してくれた皆さんから引き渡し説明を受けている時の様子です。 ようやく昨日から、New Official Websiteの更新が出来るようになりましたので、下記リンクをお気に入りに入れて、たまには覗いてくださいね!!
*ちなみに、昨夜は、この後、上田の夜の繁華街で、YummyなThai Foodsをいっぱい頂きました。
http://www.vintagebruin.com/
*上記リンクは、今までの手作りHomepageのものですが、使い勝手が良かったので、今後皆さんのアクセス状況を見ながら、引き続き更新してくる予定でいます。
それでは、天気もいいSundayになったので、近県の方は、「真田丸」で盛り上がる上田にお出かけになりませんか?
Why don't you come and visit Ueda today!!
From BRUIN Ueda-City, Nagano-Pref, Japan
Since 1999
Feb 28.2016