2015年12月6日(8年前)
☆☆☆☆「犬伏の別れ」から415年になる今年、実現した兄弟対談 ☆☆☆☆
皆さん、今日は、しばらく前に上田真田神社から戻ってきました。いよいよ、NHK大河ドラマ「真田丸」放映まで一か月ちょっとになりました。 今から415年前に、眞田家の大きな転機となった「犬伏の別れ」があり、この時から、昌幸公・次男幸村(信繁)公 父子と嫡男信之(幸)公は、それぞれ別の人生を歩むこととなりました。 その幸村(信繁)の次男大八の直系の子孫で仙台真田家14当主の眞田徹さんと松代眞田家11代当主を祖父に持つ眞田幸光さんの対談に参加してきました。 正直、御二方とも、気さくで明るい方で、30分づつのご両家に関するお話し後に、ご兄弟対談が行われました。 Picsを沢山撮りましたので、その様子をご覧ください。
*上記Picが上田城櫓門を真田神社を背にして撮った風景です。日曜日だったので、対談終了後の昼頃には、沢山の観光客が来ていました。
*上記Picが上田城跡公園内にある真田神社です。 この右の社務所で対談が行われました。
*ここに来られる皆さんの多くはこの赤い赤い六文銭兜の前で記念撮影をされますね!!
*上記Pic右の社務社に10時の講演&対談の開始頃には、入りきれないほどの皆さんがお越しになりました。
今回のイベント主催者で司会進行もされた島田さんが眞田木遣りを行う前に皆さんに挨拶されている様子です。
真田徹氏
真田幸村14代
1948年、仙台市生まれ。福島大学卒業後、大手建設会社に入社。安全環境関連の指導教育に力を入れ、全国を飛び回る。2013年に定年退社。上田真田まつり、九度山真田まつりなどに参加、町おこしに協力。信州上田観光大使。
真田信繁
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 永禄10年(1567年)[1] 一説に永禄13年2月2日(1570年3月8日)とも[2] |
死没 | 慶長20年5月7日(1615年6月3日) 一説に寛永18年(1641年)とも |
改名 | 弁丸(幼名)、真田信繁、好白(法名) |
別名 | 通称:源次郎、幸村、 豊臣信繁、伝心月叟 渾名:日本一の兵 |
戒名 | 大光院殿月山傳心大居士 |
墓所 | 長野県長野市の長国寺、 京都府京都市の龍安寺塔頭大珠院、 京都府京都市の妙心寺塔頭養徳院、 宮城県白石市の田村家墓所、 秋田県由利本荘市の妙慶寺 |
官位 | 従五位下、左衛門佐 |
主君 | 上杉景勝→豊臣秀吉→秀頼 |
氏族 | 武藤氏→真田氏、豊臣贈姓 |
父母 | 父:真田昌幸 母:宇多頼忠の娘・山手殿(寒松院)異説有 |
兄弟 | 村松殿、信之、信繁、信勝、昌親ほか |
妻 | 正室:(大谷吉継の娘、姪?)・竹林院 側室:豊臣秀次の娘・隆清院、 堀田興重の娘、高梨内記の娘 |
子 | 阿菊(石合重定室)、於市、 阿梅(片倉重長後室)、あくり(蒲生郷喜室)、 幸昌、なほ(御田姫、岩城宣隆室)、 阿昌蒲(片倉定広室)、 おかね(石川貞清室)、守信、幸信、之親、 瓢左衛門 |
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で広く知られている。
江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500の兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込んだ。
後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった。
*上記Picが記念すべき、信繁公&信之公の末裔が初めてご対面した瞬間です。
松代藩真田家初代藩主 真田信之(1566~1658)
信之は、慶長5年の関ヶ原の戦いにおいて、父・昌幸と弟・信繁(幸村)と袂(たもと)を分って徳川方にくみし、以降徳川幕府の大名として沼田藩3万石お よび松代藩10万石の藩主の地位を築きました。1656(明暦2)年に次男・信政に家督を譲り、松代城下郊外の柴に隠居、1658(万治元)年93歳で没 しました。
夫人は本多忠勝の娘で徳川家康の養女であった大蓮院(小松姫)です。
墓と御霊屋が、松代町長国寺と隠居所であった柴・大鋒寺にあり、長国寺の御霊屋は重要文化財に指定されています。また、松代藩の藩祖として、松代町白鳥神社に武靖大明神の神号で祀られています。
*眞田幸光さんは、偶然ですが、私のUCLA時代の友人で、PHP研究所の代表取締役専務の永久寿夫さんの慶応大学時代の友人でした。永久さんはBG&BRUINが震災直後の2011年4月16日に上田城跡公園で行った「BGチャリティーミーティング in 上田」にも東京から駆けつけてくれた方で、スタンフォード大学にてロシア・東欧学修士(A.M.)取得し、UCLAにて政治学博士号(Ph.D)も取得し、現在、
杉並区行政評価検討委員会委員、神奈川県「21世紀の県政を考える懇談会」委員、内閣府国際青年育成事業ハンガリー派遣団団長、東京外国語大学非常勤講師、熱海市行財政改革会議委員、内閣府行政刷新会議・事業仕分け分科会評価者、国家戦略会議フロンティア分科会事務局長などを歴任。現在、関西大学客員教授を務める
さなだ ゆきみつ
真田 幸光
1957年東京都生まれ。曽祖父が真田家(松代)12代当主。慶應義塾大学卒業後、東京銀行入行。97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98 年愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同教授、2004年4月よりビジネス学部・研究科教授。テレビ、ラジオ出 演をはじめ、論文・雑誌寄稿、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『ドル崩壊、アジア戦争も探る英国王室とハプスブルク家 宝島社新書』より
愛知淑徳大学ビジネス学部教授
アジアを中心とする海外のビジネス事情と経済の動向に精通、足で歩いて集めた豊富な現地情報を誇る。
1981年東京銀行入行。95年韓国延世大学留学。97年東京三菱銀行ソウル支店主任支店長代理。同年ドレスナー銀行東京支店企業融資部部長。98年愛知 淑徳大学ビジネス・コミュニケーション研究所助教授に就任し、02年同コミュニケーション学部教授、04年同大学ビジネス学部教授。12年4月から同大ビ ジネス学部長。社会基盤研究所客員研究員、日本格付研究所客員研究員ほか大学外の活動も多い。真田幸村の実兄、真田信之の直系子孫。
*今日もBRUINの良き相談役でBGにもよく登場する地元東御市の堀さんも参加しました!!せっかくなので、木遣りに参加したらと言われ、My 長男(太貴)と一緒に真田神社本堂で木遣りを行いました。
*ちなみに、Pic左でカメラをまわしている女性はNHKの記者さんで、はっきりはしませんが、今夜6:45pmのNHK Newsか明日朝のNHK Newsでこの記念すべき対談もニュースが放送されるそうですので、ご興味のある長野県の皆さんはご覧くださいね。
*初めて、実現した記念すべき対談でしたので、記念にBRUINの六文銭T-シャツにお二人のサインを頂きました。 今後、BRUIN Showroomで額に入れて飾ろうと思っています。 正直、NHK大河ドラマ「真田丸」放映前に、忘れられない最高の記念になりました。
「真田丸」まで、36 Days to go!!
日本の元気は地方から!!
元気を上田から世界へ!!
それでは、Have a pleasant and relaxing Sunday evening, Everyone!!
From BRUIN Ueda-City, Nagano-Pref, Japan
Since 1999
Dec 6. 2015