あの日の記憶は薄れてきましたが零戦を目にするたびに甦ってきますね! | Be an optimist and always believe in A Brighter Future!!

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UCLA卒業、バブル時代商社でサラリーマンを経験し、故郷上田でビンテージバイクの輸入販売をはじめ現在に至る。古き良き時代のJapanese Vintageバイクの魅力を配信中!!


ダウンダウンダウンダウンダウン2012年12月3日(11年前)

 昨日、ローカルラジオで私たちが加州CHINOで撮影した世界で最後の一台の当時物栄エンジンで飛行可能な52型零戦が所沢の航空博物館の100周年記念で展示が始まったと聞き、検索したところ確かに、あの零戦が所沢に。正直ビックリ!!昨日は、実際にエンジンを始動し、観客にお披露目されたそうです。私が、今年4月にCHINO航空博物館責任者のブライアン・ボイヤー氏と話したときは、場所と詳細は言ってくれませんでしたが、日本で飛行はしないが展示があると言っていましたね。


下記がこのブログの最初の頃にこの零戦ご紹介したときの内容で、この機会に、もう一度、内容をご確認くださいね。本当に、皆さんに実物を見ていただきたいですね。もちろん私も、所沢に行くつもりです。

まず、下記が今回のイベントの記事ですので見てくださいね。。



グッド!http://sankei.jp.msn.com/life/news/121201/trd12120110140000-n1.htm


4月9日4時頃にLA到着し、その日の夜には今回撮影に使うZ1初期型をLAXから東に一時間半ほどの閑静な住宅地”テメンキュラ市”までピックアップに向かい、初日は出国前予約をしておいた同市のモーテルに宿泊し、翌朝、Chino Cityのチノエアポート航空博物館に向かって出発。10日午前10時前には現地に到着、飛行場周辺は数十万頭の牛飼育されていて、何とものどかで、広大な田舎といった感じ。
当日は、晴天で、担当責任者ブライアン・ボイヤー氏が我々の到着を待っていてくれた。撮影は二時間半ほどだったが、あまりにも零戦に圧倒され、時間がアットいうまに過ぎた。


ブルーインのブログ-ブライアン・ボイヤ-氏


今回のチノ・エアポートのPlanes of Fame責任者ブライアン・ボイヤー氏とのショット。彼は親日家で零戦が大好きで、色々と説明をしてくれた。今年は日本の財団がこの零戦を日本に運んで展示する話になっているそうです。翼は取り外し、送られ日本で組み上げるそうです。情報知っている方はご連絡下さい。今から楽しみ。。。


ブルーインのブログ
 いよいよ零戦のコックピットに入る、興奮した瞬間。横にいるのは、撮影の間、ずっと付き添ってくれた大変気のいいパンチョさん、この航空博物館で十数年働いているとの事。ここは数十機の希少な戦中から近年までの戦闘機が数多く展示されています。何がすごいかと言うと、ほとんどの飛行機が飛べる状態で保管されていること。パンチョさんの自慢はここにあるほとんどの戦闘機に実際に乗った事があるとのこと。私にも、機種名は忘れましたが、零戦に対抗して米国が作った、空母の上でスペースを確保するため翼が折れるタイプの戦闘機で飛んでいる時の携帯の動画で見せてくれました。 本当にありがとう。ムーチョ・グラシアス パンチョ また会いましょう マニアナ。。





ブルーインのブログ-Zero Fighter "Real"

下記が実際に、今回のZ1との撮影で使用された世界で唯一飛行可能な当時物栄エンジンが搭載された零戦52型が飛んでいる映像です。一度ご覧になってください。


グッド!http://www.youtube.com/watch?v=ZuoVlQOO4xc




実は、撮影前に責任者のブライアン・ボイヤー氏にコックピット内に入ってもいいですかと訪ねたところ、No,Noと拒否されたのですが、終始私達の真剣な撮影風景を見て共感したのか、急遽私の耳元で特別に中に入って撮影してもいいと許可をくれました。



ブルーインのブログ-パールハーバー記事
私と同じ、長野県出身で第二次世界大戦で実際に零戦に乗って、戦闘に参加した長野市在住の原田さんの希少なテレビ取材の映像です。胸が痛くなるような話ですが、同じ日本でとして、先人たちが経験した話ですので、ご覧ください。

元ゼロ戦パイロットが語る戦争の真実 - Zero Fighter pilot's testimony


目http://www.youtube.com/watch?v=b9NrJFvn47c


最高に興奮した瞬間でした。自分は出国前にYoutubeで零戦の色々な希少な動画を見ていたので、水杯だけで、一万人を超える青年将校たちがお国の為に、大空に散っていった事を考えると胸が熱くなりました。現在の日本はどうでしょう?命をかけて国を守り、真剣に日本の行く末を考えている青年、大人達がどれだけいるでしょう。日本人の誇りはどうなってしまったのでしょう。 自分も3人の息子がいて、長男は二十歳になりますが、確かにお国の為に戦争に行き、命をかけて戦えと言うことは、親として絶対にさせたくないですが、アメリカと言う大国は勝ち続けなくては行けないのです。現在でも、中東、その他世界各地で星条旗の元、命をかけているのです。確かに日本は、民主国家で治安も良く、平和な国ですが、何かが失われてきていると思うのは私だけでしょうか?グー


ブルーインのブログ

 晴天のもと、記念にZ1&零戦と一緒にワンショット、実際に近くで見ると、それほど大きくなくビックリ。とにかく、本体をカバーしている金属が大変薄く、これで本当に大丈夫といった感じ。日本は戦中メタル・金属類が足らず、一般家庭からスチールを回収して、戦艦・戦闘機・その他軍事品に使われた背景があった事情と、軽量化で走行可能距離を少しでも伸ばすためか? 上田の実家にある戦前からあるタンスの取っ手の金属が回収され紐でなっていた事を思い出しました。当時は、食器やその他金属品も軍事品製造の為に集められたと親から聞いた覚えがある。

  今回の企画立案者のBG編集部の鈴木広一郎氏は、終始テンションがハイであった。今回の取材旅行にスタッフとして同行してくれたブルーインのお客様でもある堀さんもコップピットに入った瞬間、神風特攻隊員になったように真剣なまなざしに変わった。かなり興奮気味で目頭が熱くなっていた。


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ブルーインのブログ-零戦のコックピット

撮影前は、絶対にコックピットの撮影&入ることはダメと言われていただが、我々の真剣度が通じたのか、責任者のブライアンが特別に許可してくれた。
 

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鈴木氏は、この上記写真は、絶対棺桶に入れると言っていました。それだけ、彼はこの瞬間が彼の一生の歴史の中でも一番ときめいたMomentだったのでしょう。グッド!

一同”感激”で、特に広一郎氏はピットに入るやいなや泣き出してしまった。かなり、ゼロ戦の資料を取材前に読んでいたので、感極まったのだろう。ちなみにこの零戦は1944年にサイパン島で米軍の手に渡ったオリジナル度が高い本物”栄エンジン”が搭載された、世界で一機しかない実際に飛べるZero Fighterなのだ。この撮影の2週間後の週末にエアーショーが行われ、このZero Fighterとその他2機のゼロ戦が一緒にチノの上空を並んで飛んだのだ。日本からもツアー参加者が来ていたと後から聞きました。さすがアメリカはすごい、粋ですね。かつて敵国だった国民がこれだけ零戦を大切にしてくれいて、しっかりメンテしてくれて、いつでも飛べる状態で保管してくれいる事に、敬意を表します。”We respect you guys” Thank you so much. なんとyoutubeでChino Airport Zero Fighterで検索すると飛んでいる本物が見れますの一度見てください。超おすすめです。パー


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Dec 3.2012