2016年8月11日(7年前)
★★★ たまたま目にした想い出の”零戦52型”関連記事!! ★★★
皆さん、おはようございます。さて、今日”山の日”祝日も最高の天気になりましたね。BRUINは、明後日13日からお休みになりますので、今日明日に観光ついでに、「夏の陣」Big Sale中のVintage Z'sをご覧にお立ち寄りくださね!!
また、朝のFBで、目に留まった懐かしの”零戦52型”関連記事をアップしてみました。このお盆シーズン、ご先祖様や日本の為に若い命を捧げた人たちの事を思い起こすことも大切ですよね!!
世界に唯一のフルオリジナル零戦、復活!【動画あり】
現代日本人の零戦イメージの源泉である『中島第5357号』
現在、世界に存在する零戦で最も価値があるだろうと思われるのが、尾翼に61-120と書き込まれている『中島第5357号』だ。
なにしろ、この機体のみが、オリジナルの『栄』発動機、もうちょっと詳しくいえば『栄31甲型発動機』を搭載しており、機体自体もオリジナルの部材 を数多く使っている。現在全世界に飛行可能な零戦は5機存在するが、他の修復零戦はエンジンだけは米軍機のエンジンを搭載したり、機体部材もリバースエン ジニアリングで、新造されているのもが多いのだ。
この『中島第5357号』は、我々にとって懐かしい機体であるはずだ。なぜなら本機は’78年以来何度か日本に里帰り飛行しており、我々が子供の頃に目にしたプラモデルやオモチャ、イラストなどの大半がこの『中島第5357号』をモデルにして作られているからだ。
マニアの間では、零戦初期の設計コンセプトに沿った優美な二二型の零戦を好む人も多いが、劣勢になった戦況を反映して高速化のために翼端を短く切り、エンジンカウルから武骨な排気管をのぞかせる五二型もまた印象深い。
子供の頃に見た、雑誌のイラストの、沖縄特攻に向かう戦艦大和の上を飛ぶ零戦はこの五二型だった。プラモデルにもたいてい『61-120』というデカールが入っていた。いわば、この『中島第5357号』は我々の零戦イメージの源泉なのだ。
レストア以来30年ぶりの重整備
しかし、考えてもみれば戦後71年が経っているのだから、クラッシックカーどころではないビンテージ品だ。増してや、一般民生品ではなくいわばレー シングマシンのような研ぎ澄まされた機械。所蔵するアメリカのプレーンズ・オブ・フェイムが日々の整備を怠らないとはいえ、最初の復元から30年が経ち、 重整備な必要な状態だった。
そこで、2013年から約2年半をかけて、徹底的な分解整備が行われた。
これからも末長く『中島第5357号』を動態保存(飛行可能な状態で保存すること)するための大手術である。
そもそも、この『中島第5357号』は数奇な運命を辿っている。
サイパン島で米軍に鹵獲され、12機の零戦が研究のため護衛空母コパヒーに積まれて米国へ。
ⒸPlanes of Fame Photo Collection
その中から4機が選ばれ、零戦の性能はTAIC(米軍海軍航空情報部)で徹底的に研究された。
終戦後、民間の整備士専門学校に払い下げられたものを、私費を投じて買い上げ、再び飛行できるまでに再整備したのが、プレーンズ・オブ・フェイム創始者であり、日本軍機に非常に造詣が深いエドワード・T・マロニー氏だったのである。
ⒸPlanes of Fame Photo Collection
(上の写真は、1946年マインズ基地で開催されたエアショーで展示された時のもの)
150機以上の各国の軍用機を保有・展示し、そのうち約40機が現在も飛行可能な状態に維持されているというプレーンズ・オブ・フェイムの技術力、保存、復元にかけられている膨大な労力は他に比するものがないほど。
今回の復元でも、可能な限り本来の部品が使用され、どうしても存在しない部品に関しては部材の厚さなどにもこだわって修復されている。また、細部の塗色や、ストライプ、書き文字などに関しても、以前のレベルをはるかに越えて細かな考証を重ねて復元されている。
コクピット内部の銘板、脚柱覆の荷重表示のストライプ、車輪収容部内部や、フラップ内側の色についても、これまでのものと違う解釈のもとに復元されていて、マニアにとっても興味深い状態になっている。
これでまた、当分の間、この貴重な零戦『中島第5357号』は大空を飛び、その雄姿を見せ続けてくれることだろう。
2012年にこのアメブロで紹介した内容です!!
昨日、ローカルラジオで私たちが加州CHINOで撮影した世界で最後の一台の当時物栄エンジンで飛 行可能な52型零戦が所沢の航空博物館の100周年記念で展示が始まったと聞き、検索したところ確かに、あの零戦が所沢に。正直ビックリ!!昨日は、実際 にエンジンを始動し、観客にお披露目されたそうです。私が、今年4月にCHINO航空博物館責任者のブライアン・ボイヤー氏と話したときは、場所と詳細は 言ってくれませんでしたが、日本で飛行はしないが展示があると言っていましたね。
下記がこのブログの最初の頃にこの零戦ご紹介したときの内容で、この機会に、もう一度、内容をご確認くださいね。本当に、皆さんに実物を見ていただきたいですね。もちろん私も、所沢に行くつもりです。
まず、下記が今回のイベントの記事ですので見てくださいね。。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121201/trd12120110140000-n1.htm
4月9日4時頃にLA到着し、その日の夜には今回撮影に使うZ1初期型をLAXから東に一時間半ほ どの閑静な住宅地”テメンキュラ市”までピックアップに向かい、初日は出国前予約をしておいた同市のモーテルに宿泊し、翌朝、Chino Cityのチノ エアポート航空博物館に向かって出発。10日午前10時前には現地に到着、飛行場周辺は数十万頭の牛飼育されていて、何とものどかで、広大な田舎といった 感じ。
当日は、晴天で、担当責任者ブライアン・ボイヤー氏が我々の到着を待っていてくれた。撮影は二時間半ほどだったが、あまりにも零戦に圧倒され、時間がアットいうまに過ぎた。
今回のチノ・エアポートのPlanes of Fame責任者ブライアン・ボイヤー氏とのショッ ト。彼は親日家で零戦が大好きで、色々と説明をしてくれた。今年は日本の財団がこの零戦を日本に運んで展示する話になっているそうです。翼は取り外し、送 られ日本で組み上げるそうです。情報知っている方はご連絡下さい。今から楽しみ。。。
いよいよ零戦のコッ クピットに入る、興奮した瞬間。横にいるのは、撮影の間、ずっと付き添ってくれた大変気のいいパンチョさん、この航空博物館で十数年働いているとの事。こ こは数十機の希少な戦中から近年までの戦闘機が数多く展示されています。何がすごいかと言うと、ほとんどの飛行機が飛べる状態で保管されていること。パン チョさんの自慢はここにあるほとんどの戦闘機に実際に乗った事があるとのこと。私にも、機種名は忘れましたが、零戦に対抗して米国が作った、空母の上でス ペースを確保するため翼が折れるタイプの戦闘機で飛んでいる時の携帯の動画で見せてくれました。 本当にありがとう。ムーチョ・グラシアス パンチョ ま た会いましょう マニアナ。。
下記が実際に、今回のZ1との撮影で使用された世界で唯一飛行可能な当時物栄エンジンが搭載された零戦52型が飛んでいる映像です。一度ご覧になってください。
http://www.youtube.com/watch?v=ZuoVlQOO4xc
実は、撮影前に責任者のブライアン・ボイヤー氏にコックピット内に入ってもいいですかと訪ねたところ、No,Noと拒否されたのですが、終始私達の真剣な撮影風景を見て共感したのか、急遽私の耳元で特別に中に入って撮影してもいいと許可をくれました。
私と同じ、長野県出身で第二次世界大戦で実際に零戦に乗って、戦闘に参加した長野市在住の原田さんの希少なテレビ取材の映像です。胸が痛くなるような話ですが、同じ日本でとして、先人たちが経験した話ですので、ご覧ください。
元ゼロ戦パイロットが語る戦争の真実 - Zero Fighter pilot's testimony
http://www.youtube.com/watch?v=b9NrJFvn47c
最高に興奮した瞬間でした。自分は出国前にYoutubeで零戦の色々な希少な動画を見ていたの で、水杯だけで、一万人を超える青年将校たちがお国の為に、大空に散っていった事を考えると胸が熱くなりました。現在の日本はどうでしょう?命をかけて国 を守り、真剣に日本の行く末を考えている青年、大人達がどれだけいるでしょう。日本人の誇りはどうなってしまったのでしょう。 自分も3人の息子がいて、 長男は二十歳になりますが、確かにお国の為に戦争に行き、命をかけて戦えと言うことは、親として絶対にさせたくないですが、アメリカと言う大国は勝ち続け なくては行けないのです。現在でも、中東、その他世界各地で星条旗の元、命をかけているのです。確かに日本は、民主国家で治安も良く、平和な国ですが、何 かが失われてきていると思うのは私だけでしょうか?
晴天のもと、記念にZ1&零戦と一緒にワンショッ ト、実際に近くで見ると、それほど大きくなくビックリ。とにかく、本体をカバーしている金属が大変薄く、これで本当に大丈夫といった感じ。日本は戦中メタ ル・金属類が足らず、一般家庭からスチールを回収して、戦艦・戦闘機・その他軍事品に使われた背景があった事情と、軽量化で走行可能距離を少しでも伸ばす ためか? 上田の実家にある戦前からあるタンスの取っ手の金属が回収され紐でなっていた事を思い出しました。当時は、食器やその他金属品も軍事品製造の為 に集められたと親から聞いた覚えがある。
今回の企画立案者のBG編集部の鈴木広一郎氏は、終 始テンションがハイであった。今回の取材旅行にスタッフとして同行してくれたブルーインのお客様でもある堀さんもコップピットに入った瞬間、神風特攻隊員 になったように真剣なまなざしに変わった。かなり興奮気味で目頭が熱くなっていた。
撮影前は、絶対にコックピットの撮影&入ることはダメと言われていただが、我々の真剣度が通じたのか、責任者のブライアンが特別に許可してくれた。
鈴木氏は、この上記写真は、絶対棺桶に入れると言っていました。それだけ、彼はこの瞬間が彼の一生の歴史の中でも一番ときめいたMomentだったのでしょう。
一同”感激”で、特に広一郎氏はピットに入るやいなや泣き出してしまった。かなり、ゼロ戦の資料を 取材前に読んでいたので、感極まったのだろう。ちなみにこの零戦は1944年にサイパン島で米軍の手に渡ったオリジナル度が高い本物”栄エンジン”が搭載 された、世界で一機しかない実際に飛べるZero Fighterなのだ。この撮影の2週間後の週末にエアーショーが行われ、このZero Fighterとその他2機のゼロ戦が一緒にチノの上空を並んで飛んだのだ。日本からもツアー参加者が来ていたと後から聞きました。さすがアメリカはすご い、粋ですね。かつて敵国だった国民がこれだけ零戦を大切にしてくれいて、しっかりメンテしてくれて、いつでも飛べる状態で保管してくれいる事に、敬意を 表します。”We respect you guys” Thank you so much. なんとyoutubeでChino Airport Zero Fighterで検索すると飛んでいる本物が見れますの一度見てください。超おすすめです。
それでは、この2016年の夏を記憶に残る”Unforgettable Summer"にしてくださいね!
それでは、最高の第一回目の”山の日”Holidayになりましたね!!
Hope You Have An Awesome Holiday, Everyone!!
From BRUIN Ueda-City, Nagano-Pref, Japan
Since 1999
Aug 11.2016