2016年9月13日(6年前)
☆☆☆ 本当に、一ヶ月は早いですね!!先ほど、BGが届きました!! ☆☆☆
皆さん、こんにちは、現在、上田は雨は止んでいます。New Weekのはじめの日の午前中は、いつもばたばたしますね。さて、すっかり忘れていたBG今月号、しばらく前に、BRUINに届きました。 今月号はP120~P121に「Z 五十歳の決断」-第14回「アナログの友好的発展性」がでていますので、是非、明日、コンビニ&書店でごらんくださいね!!
今月号BG(P48~P51)に「カワサキ”Z”のルーツを訪ねて」と題された、カラー4ページの記事がでていますので、是非、ご覧くださいね!! ヨーロッパ最大級のZ系オーナーズクラブであるイギリスのZ1オーナークラブ・スコットランド支部長のイエインさんが来日され、Zゆかりの地(明石カワサキ本社)を訪れたときの内容が書かれています。
カワサキZ1 開発責任者 大槻幸雄氏「世界一のオートバイとガスタービン開発及び開発技術者の使命」講演者:大槻 幸雄 氏 川崎重工業 元常務取締役 日本ガスタービン学会名誉会員 元会長 |
- 略歴
- 昭和5年京都府生まれ。昭和24年旧制第5高等学校一年修了。
- 昭和30年京都大学工学部機械工学科大学院修士一年修了。
- 同年川崎航空機工業(株)入社。
- 昭和31年日本ジェットエンジン(株)へ出向。
- 昭和37年同社単車事業部設計部にて,カワサキ500ccマッハⅢ,900ccZ1,1300cc6気筒シャフトドライブKZ1300などの設計開発に携わる。
- 昭和40年には同社初代のグランプリ・オートバイレースの監督を兼任。
- 昭和41年フンボルト財団留学生としてドイツ・アーヘン工科大学ジェットエンジン研究所へ留学。
- その後,昭和46年川崎重工業(株)単車事業部設計部長兼ジェットエンジン事業部長付として純国産ガスタービンの設計開発に従事し,300馬力級研究用純国産ガスタービンの開発に成功。純国産ガスタービンによる非常用ガスタービン設備の市場開拓などに尽力。
- 昭和53年「ガスタービンの性能に関する研究」について京都大学工学博士号取得。
- 昭和56年ジェットエンジン事業部産業ガスタービン統括部長,
- 昭和59年ジェットエンジン事業部副事業部長,
- 平成2年汎用ガスタービン事業部長,
- 平成7年航空宇宙事業本部副本部長,常務取締役を歴任。
- 平成8年日本ガスタービン学会会長。
- 平成9年通産省工業技術院機械技術研究評価委員。
- 平成13年日本ガスタービン学会名誉会員。
- 昭和52年日本機械学会技術賞,
- 昭和57年日本ガスタービン学会技術賞(日本ガスタービン学会設立50周年記念),
- 平成4年科学技術庁長官賞,
- 兵庫県科学賞,
- 平成14年国土交通省交通文科賞など受賞多数。
- 現在,川崎重工業(株)社友。
引用: 昭和40年男
カワサキZ1をつくった男。
先日、駒場の東大に出かけてきた。『昭和40年男』の編集長ともなると、講演の依頼が次々と舞い込むのだ。スミマセン、大ウソです。『若きターボ機械技術者へのメッセージ』とのタイトルにて尊敬する大先輩が講演するというので、取材に出かけてきたのだ。
カワサキの元技術者で常務取締役まで務めた大槻幸雄さん自身の仕事経験を元にした貴重な説教だった。昭和30年にカワサキに入社して以来エンジン設 計一筋で歩み、バイクメーカーとしては完全に後発だったカワサキの新車開発を牽引した人だ。そしてスローガンを打倒ホンダとして生まれた究極のマシンが マッハであり、この歴史上の名車・Z1である。その現場で「とにかく馬力を出す」と切り盛りしたことからミスターHP(馬力)との異名を持つ。一度インタ ビューをさせていただいて以来のお付き合いである。昭和5年生まれで今年82歳を迎えるが、年齢をまったく感じさせない。1時間半にも及ぶ立ちっ放しの熱 演は見事だった。
数々の名車を生み出した後、ガスタービンの研究に従事するようになり、ここでも輝かしい業績を残している。日本ガスタービン学会の会長を務め、科学 技術庁長官賞など数々の受賞を誇っているタービンの世界でも偉大な方なのだ。バイクとタービンに捧げた人生を講演のカタチで聞けるのはなんとも贅沢な時間 だった。
現在の閉塞感に立ち向かっていくには、技術者が世界一の製品を開発して国家の発展に寄与することが肝要であるとの激から始まった。続けて大槻さんが 自身の開発者魂の原点とするのは、十分な予算も時間もない中で技術者の不眠不休の努力によって生まれた零戦と戦艦大和をあげた。さらに敗戦後わずか30数 年で、GNP世界第2位となり、あらゆる分野で世界一の製品を生み出した先輩たちの業績を誇りと思い、ピンチはチャンスなのだとこの閉塞感を払拭せよと続 けた。よくある話と感じるかもしれないが、実際に世界一の製品を生んだ男の言葉は重みがありズシリとくる。
ここからは技術者へ向けての具体的なアドバイスへと入っていった。まず、製品開発に留意すべき点としてその冒頭の言葉が「リスクを冒し開発目標を明 確にできるだけ高く掲げ、世界一を目指す。そしてリスクとアドベンチャーとはまったく異なる」とした。技術的な洞察がなく、根拠なしにとんでもない目標を 設定するのはアドベンチャーなのだと。事実Z1が生まれた背景には、限りなくアドベンチャーに近い数値目標が掲げられたが、大槻さんは必ずできると現場で 旗を降り続けた。そしてまさに不眠不休の男たちの努力によって、世界中が度肝を抜かされた名車が生まれたのだ。リアルタイムでZ1のことを覚えている昭和 40年男はいないだろうが、あのバイクの美しさを知る者は多いことだろう。大槻さんがいなければ生まれてこなかったかも知れない、もしくは世界を驚嘆させ たバイクにならなかったかもしれない。昭和の伝説となる仕事の一つだ。
講演は冒頭で述べた、国家の発展に寄与せよとの言葉を今一度述べて幕を閉じた。工業製品ではないものの、僕も同じような努力が必要な立場にいる。踏ん張らなければならぬ。
*Z1の歴史を語る上で、絶対欠かせない方が、こちらの大槻様で、この方が米国での”Z1旋風”の総括責任者的仕事をなされた方で、嬉しくなり、思わずサインを頂きました!! お陰様で、古谷様の知り合いという事で、Facebook仲間にさせていただきました。
*Zマニアであれば知らない人がいない、ご存じ、Z系エンジンの生みの親の稲村さんです!!この時は、初めてお会いしたので、嬉しくてMy Belstaffレザージャケットの内側に記念にサインをして頂きました!!
それでは、Have a pleasant Tueaday afternoon, Everyone!!
From BRUIN Ueda-City, Nagano-Pref, Japan
Since 1999
Sep 13.2016